1992年以降組への期待感
バブルが弾け、福岡の地にも悪影響が出始めた1992年に、早川氏は(株)インベストを設立させた。先輩デベ企業の大半は一敗塗地、最悪は再起不能に陥った。今となれば先輩組で順調に推移しているのは新栄住宅のみである。
インベストを筆頭に1992年以降に設立した若手の企業群は「バブルの膿」を背負わない身軽さを強みにし、加えること、国が内需拡大の柱として住宅振興策のカンフル注射を連打してくれたこともあり、フォローの風に乗って業績を進展させてきた。なかには(株)コーセーアールイー(本社・福岡市中央区)のように上場会社に成長した企業もある。
今回のインベストの倒産劇は、恙無く伸びてきた『1992年以降組』の周囲に暗雲が立ち込めてきたことの象徴になっている。この『1992年以降組』のシンボルの一つであった同社の倒産劇は「次はあそこだ、ここが潰れる」とパニックの様相を呈するまでになっているのだ。そして「理研ハウスの判断は正しかった。早く店仕舞をしたのは正解だった」と嫉妬心までが蔓延しだした。
つい一年前までの「1992年以降組の大半は、先輩たちと較べて手堅い経営をしているから生き残れる」という楽観論は跡形もない(休業した理研ハウスだけが正しい選択をしたとなるのだ。その評価が「正しい」とは思わないが。)一年前に筆者は「1992年から16年間も、よくも安泰期が続いたものだ。平和呆けしてしまった。いずれ訪れる危機への管理不足になるだろう」と推測していた。
『1992年以降組』の経営者の取材エピソードを二つ紹介する。一つはサラリーマン同僚たちと会社を興した若手経営者の印象的なコメントで「同志として会社設立に参画した仲間たちともに、購入者に一生安心して住めるマンションを提供してオープン経営に努めたい」と。一昔前の先輩経営者たちは「俺が俺が」の公私混同経営に徹していたため、この若手経営者の一言には新鮮味さと期待感を抱いた。
二つめは、事業を継いだ『1992年以降組』の経営者で「住宅を求める顧客に健康第一の環境を提供しなければならない」という熱き使命感・理念を語ってくれた。先輩経営者の大半は「この土地をあーしてこうして建築すれば原価が幾らになる。販売価格を幾らすればこの位の儲けになる」と呪文を唱えながら計算をしていた。手にした不動産から「幾ら利益になるか」しか眼中になく「どういう住宅を提供してお客に満足できるか」という意識は皆無。だからこそ前述した若手後継者たちに心を時めかされたのだ。
『1992年以降組』の経営者たちへの期待度を整理してみると、(1)理念・使命感に燃えた経営を行なう(2)オーナー経営でも公私混同経営とは決別したオープン経営の導入(3)コンプライアンス遵守の経営(4)本業特化の経営姿勢、があげられる。記述した期待度に応える経営を展開されたら、デベの世界からドラマがなくなる。ドラマが失せたら我々の情報発信の仕事がなくってしまう不安がある。だが安心した。この世界にはドラマが満載している。(続)
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