公私混同経営は今も昔も変わらず
『1992年以降組』前の先輩たちはアクも強く個性に富んで『俺が殿様』という意識に凝り固まっていた。「俺が稼いだ金を何に使っても構わない」と、反論できない信念に基づき、経営を展開してきたのだ。極端な場合、商品土地を仕入れる際には、会社としての取引前にオーナー経営者が個人で利鞘を抜くことも公然化していた。しかし、そんな「俺が稼いだ金を使って何が悪い」という、業界の定則になった経営手法は、「半永久的に企業を持続させる」というテーマには失敗し、ことごとく行き詰った。それは、1992年以前組は新栄住宅しか生きのこっていないという冷酷な事実が物語っている。
業界のビジネス体質から、彼らの考え方は理解できる。一件の土地企画でマンションが完売すれば4~5億円の儲けを握るチャンスがある。泡銭(あぶくぜに)とは言わないが、衝動的に「俺の金を使って何が悪い」と理屈をつけて散財するのだ。この習性は『1992年以降組』にも多少は共通していたが、ただ、先輩組よりも儲けられる仲間は少なかったのだ。
インベストの早川氏は、(本人の錯覚かもしれないが)掌握した銭が同世代組の中では、はるかに上回っていた。だからこそ儲けの使い方が公私混同も甚だしかった。例えば佐賀県嬉野市や唐津市などでは、幹部社員たちの反対を押し切ってホテルを買ったりしていた。意義を申した社員には、突然給料のカットの強権発動を行ったと聞く。
これでは(2)オーナー経営でも公私混同から決別したオープン経営からは程遠い。先輩たちの公私混同経営にはまだ情という人間味があった。早川=インベストにはそれがなかった。それでは先輩たちより始末が悪い。取引銀行の一部では経営者の姿勢を問いただしていたようだが、「同社の倒産が金融機関に他の『1992年以降組』への貸し剥ぐ行為の理由づけを与えなければ」と危惧する(続)。
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