3、合併せずに生き残っていくために
――ところで江北町では、第一次産業で地域おこし・九州おこしができると思いますが。
田中 農業は2割を切って、兼業を入れても3割くらいでしょう。農地は1,000町歩です。以前から減農薬、有機米に取り組んできましたが面積がなかなか増えません。イタリアのスローフード協会から大賞を受賞した武富勝彦さんが中心になって取り組まれていますが、全体としてはあまり多くはありません。江北町は佐賀平野の真ん中で、昔から米の供給地域でもありましたし、「武富ブランド」を町として活用したいと考えています。
かつては炭鉱で栄えていた地域で、重鉱害地域でもありました。佐賀県の鉱害復旧費の半分の1千億円が江北町に投入されてきたという歴史もあります。その中で、住民は、それぞれの形で国に交渉を重ねながら鉱害復旧がなされてきた経過があるわけで、その後「日本一の美田」として復活したといえます。
4年前から白石、福富、有明、北方、大町、江北の6町が合併協議会を行なってきましたが、白石、福富、有明が合併し、その後北方町は武雄と合併し、残りの大町・江北の合併も考えられましたが2町合併のメリットはないと議会も判断しました。いま考えると合併しなくて良かったと思います。
――これからの町づくりですが、どういう方向を目指されていますか。
田中 この町は人口が減っていません。交通の便が良く佐賀、福岡への通勤圏になっています。92年、町長に就任したわたしは直ぐに道路と下水道の整備に取り掛かりました。鉱害復旧が終わり、美田になったのちに農地の流動化が起こり、マンションやアパートの建設が始まりました。また、子育て支援にも力を入れてきた結果、若者も定着しつつあります。単独の市町で人口減がないのは鳥栖地区を除けばこの町だけです。今後も行財政改革と定住による活性化を進め、新しい町づくりを進めたいと思います。
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