常に自然体だった20年 代表退任後も社会に尽くす
社員とともに
今年4月、スーパーショーケース、冷凍設備、空調・換気設備、厨房設備、給排水衛生設備などの設計・施工・保守を手掛ける三共電機産業(株)の代表取締役を退任し、事業を子息に譲った濱田光江氏。「朝、起きる時間は代表だったときと変わりませんが、気分をリフレッシュするための自由な時間をたっぷり取れるようになったことはうれしいですね」と語りながらも、同社の関連会社である(株)三共の代表を務めるなど、まだまだ現役の経営者だ。
三共電機産業は1965年8月に、濱田鶴雄氏が個人創業し、67年4月に株式会社に組織変更。その後、イベント会場装飾、商業施設サイン製作、店舗内装などの工事を行なう三共を設立するなど、幅広い事業を展開していた。しかし、87年、20余年にわたり会社を経営してきた鶴雄氏が急逝してしまう。突然、妻の光江氏が後を引き継ぐことになった。
それまで、会社のことは鶴雄氏に任せきりで、ただの主婦でしかなかった同氏。事業のことに関しては右往左往するばかり、人前で話すのも苦手だったという。ただ、幸いなことに、同社の各事業部には頼れる人材が育っていた。光江氏は彼らに全面的な信頼を置き、社員とともに会社を盛り立てていった。
幅広い活動は続く
そして、事業を引き継いでから20年が過ぎた今年、会社を息子の耕作氏に任せた。結果的には、鶴雄氏と同じ期間、代表を務め上げたことになる。自身が立ち上げた会社ではないものの、主婦から経営者へ、そしてひとつの時代を乗り越えてきたことは特筆に価する。ここまで会社を支えることができた秘訣について、光江氏は「いつも自然体で、素直に、そして無理をしなかったことが良かったのではないでしょうか。ゴルフもしますし、趣味的な面で“男社会”と対等にわたり合えていけたのは幸運でした」と語る。
また、光江氏の面倒見の良さ、責任感の強さも手伝って、社内社外問わず、周囲の信頼を集めてきた。その人望の厚さから、社団法人福岡中小企業経営者協会で理事を務め、女性では初めて副会長に選出されただけでなく、ライオンズクラブ国際協会など経営者のさまざまな会の世話役を歴任。代表を退いた現在でも、福岡商工会議所女性会理事、福岡県防衛協会女性部会会長、社団法人福岡中部法人会女性部会部会長、福岡県法人会女性部会連絡協議会会長などを務めるなど、幅広く活動を続けている。「じっとしていられない性格のせいもあるんでしょうね」と光江氏。冒頭でも述べたとおり、引き続き三共の代表も務めている。
以前と比べ、女性の社会進出が珍しくなくなった昨今。光江氏の20年は、「女性だから」、「男性だから」という言葉の意味を無に帰し(その後に続く言葉が保護にしろ、批判にしろ)、その人らしく生きることが真に正しいという証左であった。
[プロフィール]
濱田 光江(はまだ みつえ)
1987年2月三共電機産業(株)代表取締役就任、
2007年4月同社代表取締役退任。
福岡商工会議所女性会理事を始め、さまざまな場での活動を続けている。
趣味はゴルフ、日本舞踊。
会社住所:福岡市南区清水2‐9‐5
TEL:092-552-0707
URL:http://www.sankyo24h.com/
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