今年6月6日、(株)千鳥饅頭総本舗の原田光博会長が亡くなり、7月7日、告別式が行なわれた。
寛永7年(1630年)創業の菓子店「松月堂」を起源とする千鳥饅頭は、原田光博氏の母、故・原田ツユ氏が全国区の土産菓子に成長させたと言っても過言ではないだろう。そのツユ氏を福岡本社で支え続けたのが光博氏であった。同氏は学卒後、ドイツで菓子作りを修行し、帰国して数々のパンや創作菓子を発表。千鳥饅頭を核に、そうした菓子群が千鳥饅頭を支えてきた。エルベやスベンスカなどを含めて、今日の千鳥屋を作り上げてきた仕掛け人でもあった。
ツユ氏が亡くなった後、光博氏は今日の千鳥饅頭総本舗(旧千鳥饅頭は個人企業)を設立。呉服町の三井ビル1階を本社および店舗とし、そこを核に35店の経営にあたってきた。本店には千鳥饅頭の全商品が販売されているが、饅頭・かすていら・丸ボーロを定番商品に、創作チョコレートや数々の和洋菓子が並び、パンも販売されている。
さらに光博氏は、博多21の会をはじめ、日独協会、子どもの村福岡など、社会的な活動にも積極的だった。近年、力を入れてきた「子どもの村福岡」を設立する会(理事長:満留昭久・福岡国際医療福祉学院学院長)は、光博氏の最後の大事業となってしまった。NPO法人や後援会組織などを作り、計画が具体化し始め、さてこれからという道半ばでの逝去となった。残念でならない。
原田氏の精力的な活動とは裏腹に、自身の体は10年以上前から悪性リンパ腫の病魔に冒されていた。そうしたなかでも、バイオベンチャーの「リンパ球バンク」を共同で設立。このバンクでは、がん治療用リンパ球細胞を1,000倍以上に増やせる新しい培養技術を開発し、その成果はリンパがんの免疫療法に大きな貢献を果たしている。原田氏の活動の広さは語りつくせない。
会社経営においても、精力的に新製品を開発する一方、(株)アナベルジャパン(本社:東京都中央区、代表:原田浩司氏)を設立、創作チョコレート菓子店舗「ブラームス」を立ち上げた。早速、全日空の店舗で取り扱われるなど好評を博している。
しかし昨年8月、病状が急に悪化し、今年2月に自ら代表の座を降りることを決意。組織を再編し、妻で取締役であるウルズラ氏を代表取締役に長男を東京アナベルの社長、次男を福岡千鳥屋の社長、三男を補佐として本社に布陣させ新体制を敷いた。
さまざまな活動に取り組んでいた分、心残りは少なくないだろうが、千鳥饅頭の温もりを永続させていくことが可能な体制を採り、最後のライフワークとなっていた「子どもの村福岡」も多くの人の賛同を得て動き出していた。安らかに永眠されたと思う。
告別式には1,300名以上の方が参列し、温厚でやさしさに満ちた原田光博氏を多くの人が偲んだ。心よりご冥福をお祈りします。