教師の確保は困難
その新学期初日、教師は4人のうち2人しか学校に来ていなかった。昨年度は、2人の教師が学校をやめた。ボップイ村は、カンボジア人から見ても田舎であり、村に続く道はいずれも悪路で、雨季は道が水没する。一方、乾季は水がまったく無く、水汲みに毎日5時間を費やすという生活。そして何より、地雷原敷設地である。この劣悪な環境では、教師を確保することすら難しい。
学校に行くと、チャンチン先生の教室しか授業を行なっていなかった。しかも、教えているのはチャンチン先生ではない。もう1人のヨハン先生は、早朝から遠くまで買い出しに行っているとのこと。驚きと怒りのあまり、言葉も出なかった。慌ててチャンチン先生の実家に行くと、母親が「チャンチンは勉強するため、教師としてスキルアップをするためバッタンバンのUSAスクールに通い始めた」と言う。もし学校が困るなら、チャンチンを連れ戻すというが…。何の相談も無くそんなことが許されるのか。突然の出来事にあきれるばかりだ。
その足でバッタンバンに戻り、チャンチン先生を探した。話をすると、もうボップイでは教えたくないと言う。自分自身がもっと勉強したいという気持ちが強いようだ。代わりに、今教えている女性がこれからも教えると言う。しかし、その女性が今後、本当に教え続ける気があるかどうかは分からない。なにしろその女性は、「私は姉で、チャンチンが病気なので代わりに教えている」と嘘をついていたのだ。最近は、嘘をつかれることに慣れてしまった気がする。
教師の確保は、子どもたちに勉学の場を提供していくうえで最も重要である。ボップイのような最低限のインフラさえ整備されていない辺境の地では、教師の確保は非常に切実な問題である。
教育への期待高まる
ボップイ小学校では現在、数多くの子どもたちが勉強している。以前、「カンボジアの田舎では教育はそれほど重要ではない。それより一緒に働いて、将来は農家をついでもらいたいと親は考えている」という話を耳にした。そこで、ボップイ小学校に通う子どもや家族は、教育についてどのように考えているのか調査を行なった。子どもたちには勉強、将来の夢について尋ね、多くの絵や手紙を寄せてくれた日本の子どもたちへのメッセージもお願いした。同時に保護者にもアンケートに協力してもらった。
結果を見ると、子どもたちは皆、勉強が大好きであることが分かる。とくに、教師になりたいという子どもの多さに驚く。勉強が好きだからこそだろう。一方、農家で働きたいという子は1人しかいなかった。家族からも、チャンスがある限り勉強して欲しい、仕事を得るためにもしっかり勉強して欲しいという声があがった。ボップイ小学校が、教育の場として大きな役割を果たしていることがうかがえる。
村に最も必要なものとしては、「貯水池」という意見が多い。水問題は深刻さを増している。村の池の水は干上がり、以前水汲みに行っていた水場までも干上がってしまった。現在は、毎朝5時間かけて、6~8キロ離れた水場に行くしかない。今年はとくに水不足が心配だという。灌漑用水路やダムなど、水源確保のためのインフラの整っていないカンボジアでは、農業は自然に大きく影響される。降るべき時に降り、照るべき時に照らなければ作物を手にすることはできないのだ。近年では地球温暖化の影響か、雨季になっても雨が降らず作物が全滅した年もあった。厳しい環境下で踏ん張っているボップイの人たちのため、同じ人としてなすべきことの多さに立ち尽くす思いである。
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