官製不況脱出に向けて 政治家の果たすべき責任
官製不況、官製非効率、官製不便、これらはいずれも、官が余計な規制を作ったことで出現したハイコスト構造である。わずか数例の犯罪や特殊なケースに振り回され、変えなくてもよい制度を変えたり、要りもしない制度を作った結果、角をためて牛を殺すの類である。
典型的な例は建築基準法の改正。万とある例のなかでたった数例の犯罪や犯罪的行為に拘泥し、また、世間の批判を避けるがためにピアチェックを始め重複的な作業を規制化した。その結果、経済的、時間的コストが馬鹿げたほど増大した。犯罪を防ぐには、罰則を重くすればよいこと、何も制度本体をそれほど複雑にする必要はなかった。どんなに制度をいじっても犯罪は起こりうる。
入札制度の改正もそうである。談合は犯罪として処理すればよい。入札制度で望ましきは、適正な競争による適正な価格、適正な価格による適正な品質の確保である。現下の状況は、適正な競争、適正な価格とは思えない。品質の方も少なからず問題が露呈している。あれだけ安い価格で良いものができているか、甚だ心配である。
工事の種類や規模に応じて適正に競争しうるものを指名して競争させることは、適正な競争をするうえで正しくないとは言えない。何もかもを一般競争にして良いものではない。その結果がダンピングである。指名の方法をもっと公正に、透明にすればよかった。落札率が90何パーセントだから談合があったと判断するのは誤り、設計図や数量が提供されれば、プロなら予定価格に極めて近い価格をはじき出すのはそう難しいことではない。予定価格は適正な企業利益も含んだ価格で、予定価格を大幅に下回る価格での受注には、どこか健全でない部分がある。現在の一般競争入札方式、総合評価方式がそんなに優れた手法だろうか。総合入札方式にしても、不透明な部分が残るし、手間とコストがかかり、依然として低価格入札が多発している。建設業は官が作った不合理な入札制度のなかで過剰な競争を強いられ自爆への道を進んでいる。
貸し渋りや貸しはがしが、また多くなっている。これも官の銀行への関与のし過ぎ、自己資本比率の基準を国が決める必要が本当にあったのか。自己資本比率が低い銀行は信用力が落ち、その批判は市場がする。不良債権処理について国が口出しすぎた結果である。
こう書いてくると、官製不況を脱出するにはどうすればよいか、答えは自ずと見えている。国の関与は最小限にしてなるべく市場に任せた方がよい。これが官製不況からの脱出方法である。
ただ、じゃあすべて放任してもよいかというとそうではない。アンフェアな競争者を退場させることは必要である。たとえば非正規社員を大量に使って競争するとか、十分な安全が確保されてないとか、そういう面の社会的規制は必要である。しかし、これまでの官製不況と言われるものは、犯罪を防止するために、あるいは経営の未熟さによる倒産を防ぐために、それ自体は問題が無いのに制度を過重に重くした結果である。
役所だけが悪いのではない。マスコミや世間が過剰に反応し、制度全体を変えなければという雰囲気を作ったことにも大きな理由がある。
犯罪や問題が発生したとき、どうすればそれが防げるか、最小の方法を考えることが重要である。制度をどうしても変える必要があるとしても、その制度の本質、その改正がもたらす影響を慎重に考え、その功罪を比較考量したうえで最適なものを探すことが肝要である。そして社会に対してそれを説明していく作業がなくては良い制度はできない。こういった役割は官僚を使って、まさに政治家が果たすべきであり、そういう面で大きな責任を感じている。これからの政治活動に活かすしかない。
本日(8月26日)開催する「官製不況に打ち克つ」シンポジウムは、会場・ホテルニューオータニ3階での受付も行っております。
シンポジウムの詳細はこちらから[PDF] >>
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