創業当初は小規模の建築工事や内装工事を手掛け、次第に賃貸マンションや商業ビルなども手掛けるようになり、急速に業績を拡大させた(株)浅野工務店。しかし、サブプライムローン問題や改正建築基準法などの影響で市場全体が落ち込み始めたことに加え、受注先を絞った経営体制が災い、資金繰りが悪化して今回の事態となった。それはなぜか、倒産の経緯を検証する。
COMPANY INFORMATION
代 表:浅野 忠雄
所在地:福岡市早良区加茂1-42-2
設 立:1985年1月
資本金:2,000万円
業 種:建築工事
年 商:(07/6)9億2,316万円
協力会社参加で事業規模が急速に拡大
学卒後、(株)内田工務店に勤務していた浅野忠雄代表は、現場や管理、さらに経営に関しての腕を磨き、1977年4月に浅野工務店として個人創業した。その後、85年1月に株式会社へと組織変更。地場を中心とした小規模の建築工事やリフォーム、内装工事を手掛け、主に木造家屋の建築工事を請け負っていた。役員は代表以下3人が就任。株式も代表と代表夫人が100%保有する典型的な同族企業で、破綻時までその体制は変わらなかった。
約10年前から、地場デベロッパーの(株)ディックスクロキ(以下D社)の協力会社となり、工事受注が急増。そのため、従来の木造建築工事主体から賃貸ビル、賃貸マンションの建築工事が主体となった。2000年、D社はジャスダックに上場、時代背景の後押しや黒木透現会長のすぐれた経営手腕で、業績は右肩上がりに上昇した。それに伴って同社の業績も上昇し、毎期10億円前後の売上高を計上するようになった。
折りしも数年前、同社に取材を行なったところ、浅野代表が「D社さんにはどこまでもついて行きます。今、このように業績が拡大しているのはD社さんのおかげですから」とコメントしていたのが印象的だった。よもや、その1社独占の受注体制が仇になるとは思いもよらずに・・・。
つづく