サラリーマン人生の終焉とスタートライン
2008年7月31日、その日、男は自らのデスク周りを片付け、永きにわたるサラリーマン人生に終止符を打った。整理を終えた男はスタッフに挨拶を済ますと、社長のもとへ向かった。
「社長、永年にわたり、大変お世話になりました。こうして無事退職を迎えることができました。ありがとうございました」
「本当に長い間ご苦労様。しかし、その苦労にどれだけ報いることができたか心配になっているよ」
「何をおっしゃいます。たしかに昨年、定年退職を迎えたにもかかわらず、その後も5年間は、1年毎の契約更新の嘱託ということで、会社にお世話になりました。それも社長のお力添えがあったからこそだと考えております。残念ながら諸般の事情もあって、嘱託としてお力添えできたのは1年強となってしまいましたが、永年にわたって社長のお役に立てたことは、私のサラリーマン人生にとって大変幸せなことでした」
「そう言ってもらえると私も心が少し軽くなってくる。しかし長かったねえ。入社したのはいつのことだったかな」
「1971年、昭和46年のことでした」
「昭和46年か。となると37年間にもなるのか」
「そうです。37年間の会社人生でした。その間、本当に様々な経験をさせていただきました」
「どちらにせよ本当にお疲れ様だった。ありがとう」
「私もそのようにねぎらっていただき、感謝の言葉もありません。本日をもって会社を去らせていただきます。何度にもなりますが、改めてありがとうございました」
こうして男は会社を去った。
男の名前は井土芳雄。1947年、昭和22年7月に福岡は箱崎の生まれ。その後、生涯を通じて箱崎に暮らし、名門福岡高校を卒業後は福岡大学法学部へと進み、法学部では石村ゼミに学んだ。福岡大学では珍しく、リベラルな気風に身を置いた。
早くに父親を亡くし母子家庭で育った井土は、大学入学と同時に奈良屋小学校の夜警として、学費の足しをかせぎながらのアルバイト生活を送っていた。その奈良屋小学校の父兄だったのが、その後の人生を送ることになる会社の社長であった。恩師の勧めもあって、その社長と会うことになった井土。
就職先がすでに決まっていた井土だったが、弟が大阪に就職することになり、自分も就職で福岡を離れることはできないと福岡での就職を改めて考えていた。井土は心に逡巡を覚えながらも、勧めに従ってその社長と会うことにした。
なぜ、逡巡を覚えていたのか。それは、その社長が経営する会社が市中金融業だったからだ。手形割引を中心としていると言いながらも、やはり「金貸し」との印象は免れない。そこに躊躇があったとしても何の不思議もなかった。
しかし、井土が迷いながらもその社長に会ってみると、大きな驚きとともに、自分の逡巡が誤りであったことを思い知る。その社長は大学教授の如き風体を持ち、すっきりとした上品なスーツに身を包み、まさに紳士然とした風姿をしていた。
市中金融の社長と言えば、金のブレスレットや大きな指輪で押し出しの強さを前面に出し、大きなストライプのスーツで身を飾り、恰幅の良さを誇るといった姿を想像していた井土は、そう思い込んでいた自分を恥じた。
そして、この社長であればついて行けると考え、その市中金融業に奉職することを決意する。こうして井土芳雄の市中金融業におけるサラリーマン人生はスタートしたのだった。
これまで、この「人生のエナジーは限りなく」シリーズでは、企業の創業者、もしくは代表取締役を取り上げ、その栄達と陰影ある人生の歩みをご紹介してきた。今回はそういった経営者ではなく、サラリーマンの人生を紹介する。しかし、その会社は市中金融業であり、とかく特別視されがちな業態の本来の姿も読者諸兄にお伝えしたい。 つづく
井土 芳雄氏のプロフィール
井土 芳雄 [いづち・よしお]
1947年7月25日 福岡生れ
福岡大学 法学部卒業
手形割引を主業務とする市中金融業に勤務
退職後、現在はフリーランスの身となる
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