井土 芳雄 [いづち・よしお] 1947年7月25日 福岡生まれ 福岡大学 法学部卒業 手形割引を主業務とする市中金融業に勤務 退職後、現在はフリーランスの身となる |
市中金融業の業務、その発展
「俺達は正当に有価証券の売買を行なって、正当に有価証券を流通させる、正統たる金融業だ」
市中金融とは言え、正統たる業態にあると宣言した井土だった。
業務が業務だけに、地方経済の動きの表も裏も細やかに把握できた。ある意味、資本主義の裏街道を歩んでいたが、それだけに手形割引を主業務とする市中金融業は“中小企業の潤滑油”と見ることもできた。
ところがそれだけではなく、高度成長期の日本においては、市中金融業がまさに手形の売買を行なっている時代があった。市中金融は手形割引が主たる業務だろうと思い込んでいると、思わぬ別の業務があることに驚かされる。
それは昭和30年代のことであった。高度成長期を迎えた当時、大阪の市中大手金融会社では、全国から集めてきた優良手形を社員たちがカバンに詰め、大阪および近辺の中小企業に持ち込み、その手形を販売していた。もともと優良企業が振り出した手形で、さらにその市中金融会社が裏書き保証をするため、絶対安全な手形となり“縦書き”即ちサイトも3~4カ月。これだと銀行利率よりもはるかに有利で、株式投資、投資信託よりも安全に保証されており、なおかつ率も良いので、中小企業の経営者は短期の利殖としてその手形を買う。
これこそまさに有価証券の売買であり、かつ流通で、そのような業務を市中金融業が行なっていたのだ。この手形売買は昭和50年代頃まで大阪で行なわれていたが、福岡では直接的な売買はなされておらず、バブル期を迎えるようになると、この売買も行なわれなくなっていった。
市中金融会社には「○○倉庫」といった社名が全国的にも多く用いられている。これは市中金融の出自が本来倉庫業を担っていた会社が多いからである。倉庫業の業務上、さまざまな企業の情報も入って来やすく、そのうち、倉庫業で得た資金を元に金融業を始める会社が多い。
その他の例を見ると製品販売を手掛けるようになったところも多い。福岡で例を見ればベスト電器がその最たる例である。
ベスト電器も元来倉庫業を営んでおり、そこで得た製品不良在庫情報、所謂、バッタ情報と倉庫業で得た資金で、大阪で商品を大量に買い叩き、電化製品を仕入れて始めた。これが当初「バーゲンセンター」と呼ばれていた電化製品廉価販売店であった。それが発展して現在のベスト電器となっているのだ。その他にも市内では、ミドリ電化も博多電気も同様だ。
このように「○○倉庫」と名乗る市中金融会社は出自が倉庫業であるため、金融を主業務にシフトさせていても、会社定款を見ると、一番上に来るものが倉庫業であり、それに伴う管理のための保険代理業が続いて記載されている場合がほとんどだ。そして金融業は定款の最後に記載されている。
会社の出自にはいろいろな例があるが、倉庫業が市中金融の出自であることは興味深い。
井土が入社した当時、その会社は資本金が700万円であったが、高度成長の波に乗って徐々に発展を続けていった。資金を得て、その額が大きくなってくると、その資金を回転させなければならない。しかし資金は潤沢とは言えず、小さな資金をどのように活用させるかと頭を痛める状況だった。
高度成長が故に、手形の持ち込みは増える。しかし資金は足りない。それ故、ほとんど調査もしないまま割引を断る。無論町手形は一切拒否で、年鑑に記載されているような会社の分だけを受け付ける、といった状態が長く続いた。
景気の好調さに会社が着いて行けないという忸怩たる思いが井土の中に燻っていた。
つづく
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