ネットアイビーニュース

NET-IB NEWSネットアイビーニュース

サイト内検索


カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

連載コラム

【人生のエナジーは限りなく】 町金融の世界に生きた男の述懐(5)
連載コラム
2008年9月 5日 11:02
井土 芳雄 [いづち・よしお]
1947年7月25日 福岡生まれ
福岡大学 法学部卒業
手形割引を主業務とする市中金融業に勤務
退職後、現在はフリーランスの身となる

日本経済の盛衰に同調する金融業

 有価証券の売買、即ち手形割引を主業務とする市中金融は、金融業としては傍流。しかし傍流が故に、様々な金融ドラマ、経済ドラマ、そして企業ドラマに、その身を浸すことが出来たとも言える。
 市中金融業の盛衰は、まさに日本経済の盛衰と同調している。
 高度成長期を迎え、その著しい経済発展のなか、東京オリンピックの開催により国際的な認知を受け、それに続いたのが大阪万国博覧会だった。万博以降、脇目も振らずに突っ走ってきた日本経済は爛熟期を迎え、世界中から羨望の眼差しを受けるようになった。
 田中角栄は「日本列島改造論」をぶち上げ、日本経済は建築、土木によってけん引する時代となり、手形は市中を乱舞していた。

 そうこうするうちに、井土が奉職していた市中金融会社も銀行と変わらないような資金ルートを確保し、資金調達がある程度自由にできるようになると、活躍の場も拡大していった。当然のことながら、会社に持ち込まれる手形のほとんどが、建築、土木関連のものであり、日本経済爛熟期の経済活動と同調していた。
 日本と日本経済、そして建築、土木関連企業、それに同調するかたちで金融業も本流、傍流共に、わが世の春を謳歌していた。

 爛熟期が続くと、それまで真面目に、そして懸命に勤労し、消費経済を堅実に支えていた一般消費者も、目の色を変え始める。これが悪名高きバブル経済の入り口だった。それまで、機関投資家やファンドレベルで投資が行なわれていた市場に、一般人が手を出し始めたのだ。無論、それまでのプロの投資家たちも、土地価格の高騰を招くような地上げを含む投資を行ない、それにけん引されるかたちで一般消費者も利殖のために土地家屋、マンションなどを購入し始めるのだった。株投資も同じ理屈で株価が異常に高騰し、それまでの堅実な日本人は影を潜めた。資金が少なくとも無理矢理に資金を調達して投資に走る、という異常事態を招いてしまったのだ。

 このバブル経済は異常であるが故に、終焉を当然の帰結とする。そこで迎えたものが強力な金融引き締め策であり、金融再編であった。そのなかで、一番の煽りを受けたのが建築、土木業と市中金融業であった。
 バブル経済が崩壊したとき、市中金融業にはほとんど資金が無かった。銀行は建築、土木と市中金融には国の指導で資金を回さず、まったくと言って良いほど無視していた。その期間は相当長く続いた。

 井土の会社では、その当時、市内の銀行ほぼ全部に当座預金の口座を設けていた。そして持ち込まれてくる小切手を即日現金化する業務を行なっていた。銀行渡りの小切手の場合、小切手を現金化できるのは振出日の3営業日後となり、すぐにでも現金を必要とする中小企業にとっては、手数料を払ってでも現金化したいと持ち込んでくるのだった。
 井土たちはバイクを使って持ち込まれて来た小切手を持って市中を走り回り、振出し銀行に向かうと、すぐに残高を確認。そして、大きな額面の小切手であっても、支払銀行に当座預金口座があればすぐに出していた。手形流通が低迷していた当時ならではの金融業務であった。

 市中金融を生業とする井土も、当時はバイクで市内を走り回る、コマネズミの如き業務に邁進しなければならなかった。これが、バブル経済崩壊後の低成長時代における市中金融業の実態だったのだ。

つづく


※記事へのご意見はこちら

連載コラム一覧
連載コラム
2012年11月27日 07:00
連載コラム
2012年11月26日 15:53
NET-IB NEWS メールマガジン 登録・解除
純広告用レクタングル

2012年流通特集号
純広告VT
純広告VT
純広告VT

IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル