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【人生のエナジーは限りなく】 町金融の世界に生きた男の述懐(6)
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2008年9月 8日 10:19
井土 芳雄 [いづち・よしお]
1947年7月25日 福岡生まれ
福岡大学 法学部卒業
手形割引を主業務とする市中金融業に勤務
退職後、現在はフリーランスの身となる

不動産投資、株式投資に踊らされてしまう

 真面目に、勤勉に労働に勤しみ、戦後復興、経済成長に夢と望みをかけ、自らも着実な貯蓄に励んできた日本人。彼らのお陰でGDPは見る間に増大し、世界から注目を浴びるようになってきた。ハーマン・カーンは「21世紀は日本の世紀だ」と唱え、そんな勤勉な、そして実直な日本人はいつの間にか浮かれ始めた。
それがバブル経済だった。

 果たしてあの日々は如何なるものだったのだろう、と今になってみれば懐述することもできるし、また総括することもできる。しかし、あの当時はそうではなかった。
平均株価は最高値38,915円87銭を付け、そこを境に反発、急落し、バブル経済は崩壊を迎えた。

 井土もバブル経済に乗せられた訳ではないが、「どうしても…」との誘いに、付き合いもあって株購入をしたことがあった。
 手元には資金が少なく、保証協会付きで銀行融資を受け、それを元に3種類の株を購入した。そのうちのひとつが日活株で、これを1,000株購入した。購入価格は1株270円。それが購入後しばらくすると、トントン拍子に値上がりし、700円を超えた。「これは調子が良い。利益もかなり出そうだ。もうしばらくは値上がりを続け、今からいけば年明けには1,000円を超えるだろう。その時点で売れば、70万円以上の売却益が出るぞ」と、ほくそ笑んでいた。
 ところが11月のある日、市中金融を営む井土の会社に大きな額面の手形が持ち込まれた。読者諸兄の推察通り、日活が振り出した手形で、額面3,000万円。そして岡山の画商が裏書きをしている。日活に画商が絡む、これでは手形流通経路の整合性が欠ける、ちょっとおかしいぞ、やばいかもしれないぞ、と思っている間もなく、日活は案の定、倒産。井土もあれよあれよと日活株を売るタイミングを失い、日活株は紙屑同然になってしまった。
 そしてその株券は、今も井土の手元に残されている。
 その他にも電力株など2種の株を購入したが、結局、双方とも損切となってしまった。

 日活の危険情報、それは市中金融にいればこそ知り得たものであったが、それでもタイミングを失えば落とし穴に陥ってしまう。
 自己保有金融資産で利殖を狙ったのであれば納得がいったのかもしれないが、無理して資金の借入までして利殖を行なったが故に、井土には忸怩たる思いが残滓として残ってしまう。借入までして投資をして、利益を得ようと目論んでもロクなことにはならない、と今更ながらに自戒、苦笑いしている。
 そしてあの頃、似たようなことが日本中のいたる所で行なわれていた。それこそ日本人が自ら持っていた勤勉さを忘れ、不動産投資に、株式投資に踊らされていたのだ。気が付くと奈落の底に落とし込まれて、手元に残ったものは塩漬けの塵芥(ちりあくた)だけ、ということになった。

 バブル崩壊後、市中金融は銀行渡り小切手の売買を行なっていたが、井土の会社ではその他に動産担保も行なっていた。乗用車を預かっての貸し付け、電話加入権による貸し付け(これは電話局に出向いて電話加入権の質権設定を行なった上で融資をしていた)、その他にも電化製品や婚礼家具まで取り扱い、挙句の果てには、スーツや宝石などの担保動産に貸し付けを行なっていた。
 しかし、動産担保物件は保管・管理などでコストかさんでしまい、この動産担保による融資は長続きせず、途中でやめてしまった。

 バブル経済でわが世の春を謳歌した市中金融業だが、バブル崩壊後の企業生き残り作戦と、その術は熾烈を極めていた。

つづく


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