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【人生のエナジーは限りなく】 町金融の世界に生きた男の述懐(9)
連載コラム
2008年9月11日 10:07
井土 芳雄 [いづち・よしお]
1947年7月25日 福岡生まれ
福岡大学 法学部卒業
手形割引を主業務とする市中金融業に勤務
退職後、現在はフリーランスの身となる

バブル期、狂奔する金融業

 バブル期の話は続く。
 第2次世界大戦敗戦後の日本復興、高度経済成長から爛熟へ、という戦後の日本経済史おいて、まさに特筆すべきあらゆるエポックメイキングを内包する、前代未聞な時代であったのがバブル期であった
 そこでは銀行を頂点とする金融業が蠢き、日本経済の脈動、蠕動を手繰っていたことは間違いない。

 あの時代、経済活動のなかで表舞台に躍り出てきたのが、かの商工ローンだ。日栄、商工ファンドなどが目立っていたが、商工ローンはそれだけではなかった。彼らは市中金融業と異なり、銀行を除く金融業界のなかではリーディングカンパニーであり、株式上場している会社も多くあった。ところが、その業務は手形割引なのか、商工ローンなのか判然とせず、井土は訝しげに見ていた。
 その手形割引枠はどう頑張って見ても300万円が限度であろうと井土が判断しても、商工ローンはその限度枠を500万も600万円も設けてしまう。何故か。それは、彼らの最終的な目的が手形割引による利潤追求ではなく、融資を引き出すことだからである。そのため、手形が不渡りになろうと一向に構わない、というよりも不渡りになるのを待っている、と言っても大袈裟ではない。手形が不渡りになれば、即日、その額のローンに切り替え、無理矢理にでもローンを組ませるのだ。
 その後にやって来るのが、地獄のような返済督促。その督促方法は社会問題にもなった。

 「社長、あんたその金を返せないのならどこか外国に行って、臓器を切り取って売ってしまえば金はできるんだ。とにかく命と引き換えにしてでも金は作ってこい。俺たちから簡単に逃げられるなんて思ってはいないだろうな。俺たちはあんたが金を返すまで、地獄の果てまでも追いかけるから、そのつもりでいろよ」

 こうして追い込みをかけられた社長が自殺するなど社会問題化し、メディアにも取り上げられて批判を浴びた。
 これらは顕著な、そして特異な例だが、それでも株式上場をしているリーディングカンパニーが違法行為ととられるような業務を行なっていたが故に、市中金融業も十把一絡(じゅっぱひとから)げに、同じ穴の貉(むじな)と見られてしまっており、折角、血の滲むような思いをして業界の評価を上げて、社会的信用を作り上げてきたものを根底から覆されてしまった。そのことに関しては井土、そして正当な有価証券流通を行なっていた市中金融業は悔しい思いをしていた。

 消費者金融もサラ金地獄と言われ、様々な社会問題を引き起こしてきた。しかしながら業界全体で自粛し、自助努力を払って、とりあえず現在の地位を得ている、しかし、金融再編の余波とグレーゾーン金利の違法性確定で過払い請求訴訟が一挙に起きるなど、青息吐息となっているのは読者諸兄も良く知るところだ。
 それでも、アッと驚くような中小企業の社長が消費者金融に足を踏み入れている例もかなりあった。会社の経費ではどうしても落とせないような金、必要となった金を調達する手段としていたのだ。

 井土が債権回収で社長のもとを訪ねていた時のことだ。
 「社長、大変なことは分かりますが、それでも債権はしっかりと回収させて頂かなければなりません」
 「充分承知しています。私も経営者としてしっかりと責任取らせて頂くつもりです」
 「頼みますよ。ところでそのような状況だったら生活資金にも困っているのでしょう?どうしているのですか」
 「恥ずかしい話ですが、消費者金融に入って手当てしています」

 このような例は幾らでも、そしてどこにでも転がっていた。
 金融としては底辺の話だが、それでもそのような金融業が暗中飛躍していた時代だった。

つづく



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