「全部オレがやる」と閣僚名簿の発表まで自ら行なった麻生太郎・新首相だが、政権発足早々、大激震に見舞われている。改革派のシンボルとして国民の根強い人気を持つ小泉元首相の引退表明で出鼻をくじかれたかと思うと、中山成彬・国土交通相が失言連発で辞任に追い込まれ、内閣支持率は福田前内閣以下の40%台と、解散・総選挙に暗雲が垂れ込めている。
与党内からは、解散先送り論まであがっているが、麻生首相は、10月3日に衆参の代表質問を終えた時点で、翌週からの補正予算審議を行なわずに解散、「11月2日投票」に腹を固めたと見られている。
「民主党は麻生グループ企業の公共事業資材納入にからむ特大級のスキャンダルを調べている。予算委員会を開いて追及されればそれこそ選挙どころではなくなる。経済対策の補正予算をすっ飛ばして解散に進むしかない。」
自民党内にはそうした不穏な情報まで流れている。そうなると、新内閣のお祝儀相場の余勢を駆って総選挙に臨むという当初の目論見は完全に崩れることになる。これでは、まるで“追い込まれ解散”だ。
だが、スキャンダル情報以前に、自民党内の麻生首相の政権は今やガタガタで、とても国会審議を乗り切るだけの指導力を発揮できそうにないとの事情もある。
森を切り捨てた麻生
「やはり麻生を信用するべきじゃなかった。」
森喜朗・元首相はそう地団太を踏んで悔しがった。候補者5人の乱立となった自民党総裁選で森氏は最大派閥の町村派の大勢を麻生支持でまとめ、文字通りキングメーカーとして決定的な役割を果たした。
だが、総裁選投票日も、国会の首班指名選挙にもその姿はなかった。麻生氏は総裁選での勝利が確実になると、功労者の森氏に、「私より先に国連に行ってスピーチをしていただきたい」と、国連アフリカ開発ハイレベル会合での演説を要請した。外遊好きの森氏は首相時代に国連ミレニアムサミットで演説して以来の晴れ舞台に飛びつき、国会を休んでニューヨークに行っていたのである。
ところが、森氏の留守中に行なった組閣と党人事で、麻生氏は森氏を怒らせた。確信犯だったとしか思えない。
「森さんと青木幹雄さんは総裁選さなかに麻生と会談し、町村信孝・前官房長官の幹事長起用を確約させていた。小池百合子を擁立した中川秀直さんを封じ込めてまで派内を麻生支持で固めたのだから、その原動力となった町村さんを厚遇しないと派内に示しがつかない。ところが、麻生はいざ人事となると、目の上のたんこぶになりそうな町村さんを敬遠し、わが派幹部でも扱いやすい細田さんを幹事長に望んだ。そればかりか、組閣では森さんが海外にいるのをいいことに派閥の入閣候補を突っぱねた。」(森側近議員)
ちょうど1年前、森氏のフランス外遊中に当時の安倍首相が退陣表明し、麻生氏が後釜を狙ったことに“クーデター説”があがったことによく似ている。
怒った森氏は、ニューヨークから麻生氏に電話で直談判し、強引に押し込んだのが問題の中山国土交通相だったのは皮肉だが、麻生氏は首相になると「後見人」のはずだった森氏切り捨てに動いたのだ。
結局、町村派の大臣枠は2人(中山氏の辞任で現在は1人)にとどまり、「主流派にいなければポストが回ってこない」と派内に麻生擁立を説得した森氏の求心力は一気に低下した。
麻生首相は“参院のドン”青木氏の閣僚推薦も拒否し、参院からは中曽根弘文氏を外務相に抜擢した。
これによって、長年、キングメーカーとして自民党内に隠然たる影響力を持ってきた森―青木コンビの時代は事実上、終わったと見ていいが、同時に最大派閥の町村派と第2派閥の津島派を“敵”に回した麻生首相にとって、政権延命には、早期の選挙で勝つしか道はなくなった。
すでに党内での政治生命が終わっていた小泉元首相の引退より、森-青木コンビの事実上の“失脚”の方が政治的意味は大きい。
(千早 正成)