1990年12月に福岡の土木資材商社、飯田産業が当時の法律である和議申請を福岡地裁に申請した。当時、同業他社はバブル余韻が残っており即戦力を恋い求めており、同社の優秀な社員は瞬く間にスカウトされた。翌月(91年1月)に飯田産業は人材難に陥った試練を克服できず自己破産に切り替えた。言うなれば『人材難自己破産の申請』と呼ばれたのは記憶に新しい。
現在、一度潰れたことのある新生銀行が「一度あることは二度ある」と囁かれている。人材もあちこちから掻き集めた混成部隊だから結束が弱い。今回のリーマンブラザーズへの焦げ付きの発生以前から、優秀な人材は転職を始めていた。社内では「今回の打撃を契機に人材の蛻(もぬけ)の殻にならなければよいが」という意見が流れている。
※記事へのご意見はこちら