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特別取材

【倒産を追う/りんかい日産建設(株)】会社更生法申請はベストだったのか?(上)
特別取材
2008年9月13日 12:30

[COMPANY INFORMATION]
代 表:北川 克弘
所在地:東京都港区芝2-3-8
九州支店:福岡市中央区赤坂1-13-10
設 立:1936年1月
資本金:70億5,500万円
年 商:(08/3)約805億6,700万円

5年でついえた合併

 「皆さんの対応次第では何のための合併か、分からなくなります。合併はしたけれど、苦難はこれからも続くと覚悟しなければなりません」―。03年7月、りんかい建設と日産建設が合併、「りんかい日産建設」の発足を記念するパーティーで益山利昭社長(現相談役)は、旧2社の社員にお祝いムードを戒め、厳しい船出になることを訴えたという。

 りんかい日産は、大正末期創業の海洋土木会社・りんかい建設が、親会社マイカルの倒産の余波で行き詰まった日産建設を救済合併したもので、不振ゼネコン同士の組み合わせと違い、「陸と海」「建設と建築」と事業分野が重ならず、相互補完が期待できる理想的な結婚とされた。日産建設は、故久原房之助の興した日立日産財閥の流れをくむ名門だったが、筆頭株主の日立造船が業績不振から1988年に持ち株をマイカルへ売却、グループから離脱した。マイカルは店舗建設に日産建設を活用する狙いだった。

 りんかい建設は日産建設に対し、合併まで1,200人いた従業員を半分以下の550人に減らす厳しいリストラを実行させ、技術者や営業マンの多くが去ったと言われる。建設不況のまっただなかで、経営陣は海洋土木と陸上建築を足し合わせ、単純に「1+1=2」になるとは見ていなかった。益山社長は新会社が発足するや、旧日産建設の得意としていたマンション建設を「採算に合わなければ受注するな」と厳命したという。日産建設が経営不振に陥った原因が、民間工事の赤字受注にあると見抜いていたからだ。

不動産開発に活路求める

 果たして、合併初年度の04年3月期の売上高は「1+1=2」の1,270億円に遠く及ばない926億円と厳しい数字となった。2年目で初の12カ月決算の05年3月期は、それをさらに160億円も下回る763億円。「合併時には1,000億円は維持できると思ったが、ここまで公共事業が縮小するとは予想しなかった」と、07年11月に益山社長に代わって就任した北川克弘社長は後に振り返っている。

つづく

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