「USA」とか「USJ」「横浜3L」「JAPAN」といった隠語が証券市場で飛び交う。経営破綻が相次いでいる不動産業界で囁かれる「危ない会社」の頭文字だ。カタカナ社名の新興デベロッパーは、いずれも前年度決算は好業績を残しているのに、今年度に入り“蛇口”が閉められ「突然死」した。
証券界で注目度が高い銘柄を取り上げる。東証マザーズ上場の中古ビル再生のアルデプロ(東京・新宿区、久保令士社長)と大証ヘラクレス上場の不動産ファンドのダヴィンチ・ホールディングス(東京・中央区、金子修社長)だ。
社債の裏契約を否定
アルデプロは8月6日、ゴールドマン・サックスグループを割当先として27日に第2回無担保転換社債型新株予約権付社債(第2回CB)を発行すると発表した。同社は昨年8月にゴールドマンに発行した第1回CBの償還を迎える。株式転換がなく、実質的な借り換えだ。このCBが疑惑の目にさらされた。
8月13日、アーバンコーポレイション(広島市)が倒産。300億円の社債を引き受けた仏金融大手BNPパリバと、「スワップ」と呼ばれるデリバティブ取引の裏契約を結んでいたことが明るみに出た。そのためアルデプロのCBにも裏があるとみなされた。
慌てたアルデプロは8月14日、ゴールドマンとの間に「スワップ契約および買戻義務を定めたいかなる契約も締結していない」とプレス発表した。アーバンのような裏契約を結んでいないと打ち消したのだ。
アルデプロは、過剰反応といえるほど神経を尖らせた。噂の「USA」のUは、アーバンコーポレイション(URBAN)、Sは6月に倒産したスルガコーポレーション(横浜市)、そしてAはアルデプロを指しているとされていたためだ。
上場3週間で営業停止の過去
アルデプロは株式上場の時から、「要注意」の烙印を押された問題企業だった。
同社は88年に内装業として創業。98年に秋元竜弥氏(50)が買収した。秋元氏は狛江市立第二中卒。不動産会社の大葉興発に入社して不動産の経験を積んだ。社長に就いた彼は、01年社宅などの中古マンションの再生事業に進出、02年アルデプロに社名変更。現在、会長の秋元氏は発行済み株式の40.9%を保有する筆頭株主だ。
アルデプロが東証マザーズに上場したのは04年3月18日。ところが、上場後わずか3週間で営業停止という異例な事態となった。
上場時に社長だった秋元氏が、「ゴルフ帰りに交通事故を起こし、相手に重傷を負わせた」として道路交通法違反で執行猶予処分を受けていたことが発覚したからだ。役員などの立場の人が執行猶予処分を受けた場合は、取り消しになる宅建業法に抵触したため、東京都は宅地建物取引業者の免許を取り消したのである。
執行猶予の判決が出たのは上場前だったため、東証マザーズは上場審査で不備を見抜けなかった責任を問われた。金融庁は、東証に対して、上場審査と上場管理業務の体制の見直しを求める業務改善命令を出した。
秋元氏は社長を辞任したが、執行猶予期間が終わった05年5月に復帰。会長兼社長(07年10月から会長)として陣頭指揮を執った。ミニバブルの追い風に乗って、07年7月期の売上高は781億円、当期利益65億円と過去最高を記録した。
だが、私募ファンドの資金手当て難から窮地に陥った。金融機関からの差し押さえが、情報誌に報じられるなど、要注意銘柄にリストアップされたのだ。
棚卸資産に低価法の導入
新興デベロッパーの危機は、不動産市場への資金流入に急ブレーキがかかったことだけではない。08年4月から導入された棚卸資産に対する「低価法」の適用も危機だ。棚卸資産の評価について、資産の取得原価と時価を比較して、低い方の価額を期末資産の評価額とする低価法の適用が義務づけられた。
高値でつかんだ物件を多数保有する不動産流動化企業や私募ファンド運用企業の中には、販売用不動産の評価損をまだ計上していないところが多数ある。これが、今後の大きなリスクになる。取得価格より3~4割落ちている物件はザラ。監査法人から、開発途上の土地の評価損を迫られることになる。9月中間期決算に、そのヤマ場を迎える。
低価法の導入で、俄然注目されたのが、ダヴィンチ・ホールディングス(08年7月にダヴィンチ・アドバイザーより商号変更)。新興デベロッパーのなかで、最大の棚卸資産と有利子負債を抱えているためだ。
1.6兆円のファンド新設を計画
ダヴィンチの設立は98年8月。創業者は金子修氏(61)。26.6%を保有する筆頭株主だ。「ニューヨーク上場を果した日本人起業家」の肩書きをもつ。70年米インディアナ州立大マーケティング部卒。国内の貿易会社に務めた後、ハワイで不動産関連のビジネスを起業。75年には長谷川工務店(現長谷川コーポレーション)のハワイ支店長も勤めた。91年にリゾート事業を手掛けるサンテラ・コーポレーション(カリフォルニア州)を設立し、ニューヨーク上場を果した。
上場直後にサンテラを辞めた金子氏は98年8月、日本でダヴィンチ・アドバイザー・ジャパン(現ダヴィンチ・ホールディングス)を設立。金融機関の不良債権処理が、不動産投資の絶好のチャンスと判断したためだ。欧米の機関投資家から集めた資金で不動産ファンドを運営。金融機関が抱える不良債権を買いまくった。01年12月にナスダックに上場。都心の地価高騰の追い風で国内最大手の不動産ファンドに急成長。07年12月期(連結)は売上高2,769億円、最終利益118億円と過去最高を記録した。
不動産不況の出口が見えないなか、ダヴィンチは今年に入りファンド運営事業の拡大に打って出た。デベロッパーに投資するために、2,000億円の不動産ファンドを始めたのに続き、総額1兆6,000億円のファンドを新設する計画を打ち出した。資金繰りに窮したデベロッパーが売却する優良物件を手に入れるためだ。
ダヴィンチの棚卸資産は9,442億円、有利子負債は7,962億円と巨額(08年6月末現在)。それが懸念材料となり、昨年に1株15万円を超えていた株価は、5分の1の3万円前後に下落した。だが、金子氏は意に介さない。
地価が下がる時が、最大のビジネスチャンス。強気の賭けが適中するか、それとも外れるか。“逆バリ”で勝負してきた金子氏の正念場である。