新井組株の仕手戦
第2ラウンドは、それから10年後の96~97年にかけて。戦後最大の経済事件であるイトマン事件の主役として、許永中は「地下経済のフィクサー」と呼ばれる大物事件師になっていた。
イトマン事件で逮捕された許永中は、2年半勾留され、ようやく保釈された。許永中は、塩漬けになっていた新井組株を使って、資金を調達することを画策。それが180億円の手形をパクった石橋産業事件である。
石油商社、石橋産業では、創業者の石橋建蔵が他界したことがきっかけで、お家騒動が起きる。会長の石橋浩は、異母弟の石橋克規を権力闘争の末に追放。克規は浩の2倍ほどの株を保有、反対派とあわせれば30%ほどを占めていた。
担保に提供していた克規が保有していた石橋産業株が流出。許永中は、石橋産業株の買い戻しを「えさ」に浩に接近した。元首相経験者、大手航空会社社長、大相撲関係者、暴力団組長・・・。手持ちの役者を浩に紹介して自らの大物ぶりをアピール、半信半疑の浩を幻惑。石橋産業株を買い戻す代わりに、自分が保有する新井組株を買い取る条件を呑ませた。額面180億円の約束手形を受け取った。
新井組株は、「京都の黒幕」山段芳晴という人物がオーナーのキョート・ファイナンスに担保として入っていた。バブル崩壊で同社の経営が悪化。96年10月、山段はキョート社の会長を辞任、浩の義弟が後任についた。石橋産業は、新井組株を抑えるために、キョート社に会長を送り込んだのだ。
ところが、キョート社が担保に取っていたはずの新井組株1,120万株が消える。この株は許永中の手に渡る。許は新井組株で大仕手戦を仕掛ける。
97年1月末、許永中の関連企業から、大阪や京都の中小証券会社約20社に大量の新井組株の買い注文が出された。指値は2,000円台。同時に、許側から同金額の指値売りが大量にあり、取引は成立した。
しかし、許永中は、資金を証券会社に入れない。彼は、キョート社から取り戻した新井組株の高値での売り抜けを狙って、鉄砲事件を仕組んだのだ。証券市場は大パニック。証券会社の処分売りで、新井組の株価は680円まで暴落。許永中の鉄砲行為で損害を出した大阪の小川証券など2社が廃業に追い込まれたのである。(日下淳)
つづく
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