井上さやかの子ども被害者追跡調査は続く。マノーラ君は2002年2月の第7次スタディツアーでエマージェンシーホスピタルに入院していた。当時6才で右手の指は吹き飛ばされ、身体中に不発弾の破片が食い込み顔や目にも大きな損傷を受けていた。そばに母親が付いていて、どうしてこんな目に遭ったのかを問うと、金属を集め売ったお金でアイスクリームを買ってあげると父親から言われ、一緒に地雷や不発弾も危険なものと知らずに集めたり触ったりしていたという。
貧困による家庭崩壊
2006年5月25日、井上さやかは彼の住むタイ国境近くのバンティアイミエンチャイ州マライ郡の住所を突き止め、調査に入った。まず名前の確認だったが、本名はソム・ノリス(通称・ノイ)で、病院で聞いていたのとまったく違っていた。といっても別人ではなく、02年に聞き取りをした本人である。なぜか、このようなことがたびたび起こる。年齢は10歳で被雷時から4年経っているので合っている。現在も右手の指は飛ばされたままで、右目は遠くのものが見えない。
当時、父親は小作農で草刈や耕作の仕事をしていたが、その際に見つけた地雷や不発弾を家に持ち帰り現金化していた。ノイ君はその様子をいつも間近で見ていたため、家にあった不発弾を危険なものと思わずに、アイスクリームと交換しようと思い触ってしまった。牛車で水汲みに行こうとしていて爆発音を聞き駆けつけた母親は動転したが、病院に連れて行く手段が無く、しばらく右往左往するだけだった。
小1時間経ってバイクタクシーが通ったので、それに乗ってマライの病院に行ったが、すぐに腕を切断するというので「それだけはやめて!」と母親が哀願し、別の病院を探すことにした。ピックアップトラック(トラックの荷台に鈴なりに乗っていく乗り合いバス)に夜7時ごろ乗って、バッタンバンのエマージェンシーに着いたのは夜中の1時ごろだった。翌朝、父親はマライに帰ったが、それから2カ月半母親はずっと付き添った。
エマージェンシーでは最新の医療を受け、腕も切らずに身体に食い込んだ破片の摘出や目の治療などを受け無事に退院できた。ところが、ノイ君が村に戻ってきて1カ月後、両親は離婚してしまう。住む家を奪われたのだ。エマージェンシーはCMCも支援をしていて、被害者は無償で治療を受けることができる。ところが、母親が付き添って働けなくなり、父親が通って交通費がかさんだりしてお金がかかり、困った末に家のライセンスを担保に借金をしたのだ。当然利息も付くため、期限までに返済できずに家を取られてしまった。
父親は先妻の家に逃げ帰り、ノイ君母子はますます貧しくなった。「勉強をしたい」というノイ君の希望により、本人はお寺に住み、母親はそこから1キロ離れたところのテントで寝泊りをしている。母子は時々会っているそうだが、お寺の規模が小さく余裕が無いため、お寺の手伝いで飯は食えても勉強ができないという。文字を書くときは、右手を吹き飛ばされているため左手で書くが、学校に行けていないため、日本語でいう「あいうえお」さえも満足に書けない。本人に教育を受けたいという希望があるのでぜひ叶えてあげたいと、井上はコムリット君のいるアンファン・ド・メコンへの紹介をしている。
貧しい家庭で地雷被害者が出ることによる家庭崩壊と、それによる悲劇の姿がここにもあった。
つづく
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