マンハッタンを買い占めるほどに加熱した、投機資金による資産価値の高騰―。1990年3月。銀行に対する総量規制で、ピーク時は38,000円台を超えた日経平均株価が、90年10月1日には2万円台を割り込むという急激な信用収縮が起こり、バブルが崩壊した。住専関係の金融機関や多くの銀行、不動産関係企業が破綻に追い込まれるという事態となった。
国は景気浮揚策から公共投資を乱発。地方に大型公共施設が建つ時世となったが、景気そのものは奈落の底のまま回復せず、国家財政も瀕死の重傷を受けた。そこで政府は、IT景気に沸くアメリカなどの海外投機資金の導入を検討。米国からの要請で国際会計基準を導入し、海外投機資金を株式市場に入れ、株価も不動産も回復基調に転じた。
金融機関も、不動産担保付不良債権処理 (バルクセールによる貸付資産の一括売却) 時代に突入。これを機に、グローバルスタンダードな不動産金融スキームが日本に持ち込まれ、市場はキャッシュフロー重視の不動産流動化へとシフトしていった。長期にわたるゼロ金利政策により、金融機関には多くの利益がもたらされた。不良債権処理用の資金も確保し、疲弊した金融機関の経営内容は改善された。
その後、1998年施行の「特定目的会社による特定資産の流動化に関する法律」が、不動産投資の歴史を大きく変えた。これにより、特定目的会社(SPC=Specific Purpose Company)が特定資産の流動化を行なう制度が確立、資産の流動化が促された。
これが2000年には「資産の流動化に関する法律」(=資産流動化法)に改正された。また証券投資信託および証券投資法人に関する法律が「投資信託及び投資法人に関する法律」に改正され、01年に「不動産投資信託」が登場した。
こうした時代の変化のなか、都心部の不動産価格も上昇に転じた。その過程で、1,500兆円ともいわれる個人資産を不動産市場活性化のために利用する制度が、東証に設立されたJ-REIT市場である。 【大根田康介】
~つづく~
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