世襲経営に対する両社の態度
では、パナソニックとサンヨーの違いは何か。
一言でいうなら、松下は歴代社長が松下家への大政奉還を身をもって阻止したのに対して、三洋は井植家が世襲経営を続けてきたことに尽きる。
戦後、松下電器は番頭経営に移行。幸之助は、娘婿の松下正治を社長につけ、松下家の血を守ろうとしたが、経営方針をめぐり対立。両者の確執は抜き差しならぬものになり、幸之助が亡くなるまで、2人が和解することはなかった。
世襲経営の失敗を自覚した幸之助は晩年、世襲を断ち切ることに執念を燃やしたが、それを実現しないまま1989年に他界した。幸之助が亡くなると、松下家の人々は、正治の長男、正幸(現副会長)擁立に挑んだ。
松下電器の歴代社長にとって、最大のテーマは松下家の世襲経営を阻止すること。激烈な抗争を経て、経営陣は世襲経営を封印した。その総仕上げが、パナソニックへの社名変更であった。社名から「松下」を消して、創業家の呪縛から解き放たれたのだ。
一方、三洋電機では井植3兄弟が順番に社長になった。しかし、2007年、経営が悪化した三洋電機の世襲経営は終焉。創業家3代目である社長・井植敏雅と、父親で社長・会長を約20年間務めた最高顧問の井植敏も退任した。創業家の重しが取れた途端に噴出したのが「公私混同」批判であった。
パナソニックは三洋電機を子会社に組み入れる。恩讐を超えて、元の鞘に収まったのである。(敬称略)(日下淳)
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