11日、政府見解を真っ向から否定した論文を公表した問題で、参院外交防衛委員会に参考人として招致された前航空幕僚長・田母神俊雄氏は、悪びれることもなく、これまでの持論を展開した。
自身の問題論文について、「いささかも間違っていない」「逸脱を感じていない」としたうえで「政府見解による言論統制はおかしい」「(自衛隊を)言論統制を徹底した軍にすべきではない」と驚きの発言を連発した。自衛官を退職したとはいえ、制服組のトップに在職していた人間が自衛隊を「軍」と呼ぶこと自体、戦後の自衛隊を否定することではないか。制服組トップだったことへの自覚のなさには、あいた口がふさがらない。
憲法19条や21条に触れ、思想良心の自由、表現の自由に言及しようとして発言を止められたが、憲法解釈で自身の論文の正当性を訴えようということなのだろう。しかし、自衛隊を「軍」と呼んだ時点で田母神前幕僚長は憲法9条を否定している。さらに言うなら99条の憲法遵守義務にも違反しているのではないか。憲法を否定しながら憲法を盾にしようというのは、明らかな自己矛盾だ。
さらに問題なのは、田母神前幕僚長が文民統制より言論統制に重きを置いていることである。「政府見解による言論統制はおかしい」「言論統制を徹底した軍にすべきでない」という発言は、政治=文民が決断した見解を、否定してもかまわないということである。政府見解とはいわゆる村山談話のことであるが、自衛隊の最高指揮官である総理大臣の見解に対し、現職自衛官が公然と否定する態度を見せることは、「文民統制には従わない」と言っているに等しい。田母神氏は、国会で持論を展開できて気持ちが良かっただろうが、自衛隊に対するアジア諸国からの視線が、より厳しいものになっていくことには、なんの責任も感じていないのだろう。シビリアンコントロール即ち文民統制は、こと田母神氏については機能していない。同様の内容の論文を、他の多くの自衛官が、公表を前提で応募しているとすれば、文民統制は崩壊していると言っても過言ではない。
国家・国民のため、日夜訓練に励む多くの隊員は純粋だと信じたい。政府見解がどうの、憲法がどうのと言う前に、最優先すべきは「文民統制」である。アパグループであろうが幕僚長であろうが、文民統制が崩壊した結果、国民が塗炭の苦しみにあい、多くの命が失われた太平洋戦争の事実を捻じ曲げることは断じて許されない。軍部の独走が招いた悲劇は歴史が証明している。どんなに理屈をこねても、歪めることのできない「近現代史」が存在することを認識すべきである。
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