アジアの各国が日本に向ける視線は厳しい。どんなに国内で「侵略」「自虐史観」を否定してみても、諸外国が日本の過去について振り返る時、消したくとも消せない事実がある。何もかも「日本は正しかった」とするのは明らかな間違いであり、ましてや自衛隊の教育課程で偏った国家観を植えつけることは、決してあってはならないことだ。アパグループの懸賞論文に応募・受賞した田母神前航空幕僚長の政府見解否定論文は、シビリアンコントロールを根底から揺さぶっているが、その他にも多くの自衛官が同様に応募していたという。
個人がどのような歴史観を持とうが自由である。しかし、公務員、とりわけ自衛官が公然と政府の見解を否定することは、自衛隊そのものへの信頼を裏切るばかりか、国益を損ねかねない問題なのである。
わが国が世界に誇れるものはいくらでもある。歴史、伝統、文化、良きところは伝え、悪しき部分に正面から向き合うことこそ、国際社会の中で日本が生き残る道ではないか・・・。故司馬遼太郎氏は「名こそ惜しけれ」という言葉を引用し、それこそが世界に通用する日本独自の精神だと説いた。
武士道で「名を惜しむ」とは、「恥を知る」ということにも通じる。旧日本軍の行為の全てが正しかったと断言できる人は、極めて少数であろう。日本人はその遺伝子の中に、武士道精神を残しているはずである。その武士道精神を最も体現すべき自衛隊制服組のトップが、問題企業アパグループの代表者を戦闘機に搭乗させ、出版記念パーティで乾杯の音頭までとっていたとされる。
問題の田母神論文はそのアパグループの懸賞論文であり、受賞した田母神氏は「賞金300万円」を受け取るという。恥を知れと言いたい。政府見解が気に入らなければ、辞表とともに意見具申し、潔く身を引けばよかっただろう。
そもそも異なる国や民族が、同じ「歴史観」を共有するということは難しいことである。それぞれの国や民族に「言い分」が存在する。イギリスとアメリカでもその歴史観は違う。ましてや韓国や中国の人たちに、日本と同じ歴史観を持てといっても無理な話である。田母神氏が「航空幕僚長」の肩書きのまま論文を公表したことは、日本軍あるいは日本そのものから被害を受けたと思っているアジア諸国の人たちに、自己の歴史観を公式に押し付けたも同然である。傷口に塩を塗られて怒らないはずがない。
歴史観は違っても、「戦争は悲惨」という気持ちは、唯一世界中が共有できるものだろう。人間は他の痛みを知ることができるからだ。また、それこそが人間の人間たるゆえんではないか。
他人の痛みを理解できない人間に、武器を持った部隊を任せることは悲劇を招来する。洋の東西を問わず、名将とは戦略・戦術に長けているだけではなく、人の痛みを知る者である。同時に「名を惜しむ」人でもある。
前幕僚長は、参院外交防衛委員会で、更迭されても6千万円もの退職金は欲しいと明言した。懸賞金ももらうという。名は惜しまずとも金は惜しむということか・・・。
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