期待はずれの指導不足
さー、いよいよ、会社立て直しに向け、「社員のための、常識が通用する組織再建」を理念として掲げる樺島社長が、その辣腕を振るうことのできる基盤が築かれた。まずはお客との対立を解決し、和解するために門松のマンション住民との話し合いの機会をもつことが、緊急の課題であった。樺島社長は公約通りに和解に向けた行動に踏みだした。話し合いの場で、和解条件を即決できるよう、根回しをしておくところまでは漕ぎつけたのだが、最後の最後にはあっさり城戸氏にうっちゃられた。住民との和解案を拒否されたのである。会長となった城戸氏に対し、樺島氏は「マンション住民との和解が、会社にとって最大の信用回復のための決め手になる。この案が認められなければ、私は社長のポストから身を引きます」と開き直れば良かったのだ。
この時点で樺島氏が社長を辞任すれば、銀行は即刻、支援を中断することは明白であった。作州商事が一巻の終わりとなることは、城戸氏も理解していたはずである。樺島氏が頑として自らの主義主張を曲げなければ、城戸氏も妥協したかもしれない。しかし、「まー、樺島君は、そこまで決意表明をして、大胆かつ果敢に行動できるような玉ではない」と見くびり、舐めていたのである。そして、その読みは的確であった。
釈放され、裁判でも執行猶予付きの判決を受けた身となって以降、城戸氏は、表面上は会社にはタッチしていないかのような体制を敷いた。だが内部では、超法規的な危機管理室を設置したうえで、シリーズ②で登場した田中氏を配置し、社内における実権把握に余念がなかった。だから、作州商事を褒めたたえる記事を作成したにも拘わらず、城戸氏は弊社に抗議文書を突き付けるという、異様な反応を示したのである。樺島氏は、社長の肩書を持ちながらも、実権をもぎ取られたに等しかったのである。
24億円の価値があったのだ
2006年2月に城戸氏が逮捕された際、筆者は「作州商事の企業価値は24億円ある」と評価した。但し、「裁判によるリスクがトータルで10億円ある」と付け足していた。だからこそ「樺島社長!! 裁判問題を片づけたならば、会社には14億円の値がつきますよ。早く処理してくださいよ」とエールを送ったのである。当時はまだバラ色の時代である。元気な企業もあった。「コダマさん!! 裁判リスクを排除してくれれば、14億円前後ならOKよ。樺島社長体制、現況体制OKよ」という内々の打診を受けていた。これで作州商事を常識ある会社に再生できていたら、樺島社長の評判はうなぎ登りになっていたのだ。
現実は、それとは逆の悲劇となった。筆者は「城戸さんは今度娑婆に出てきても、作州商事の会長だ、オーナーだとの立場で、公然と動くことはできないだろう。会社を売却すれば、少なくとも10億円のキャシュを握ることができる。これで納得して会社を手放すだろうか」と関係者に聞いて回った。見解は半々に分かれた。「10億円を握って、再起のチャンスを待つだろう」という意見と「10億円の端金では、作州商事のオーナーという立場と権力を手放すことはない」という予測とに、二分されたのである。
筆者の株売却案=M&Aの提案を城戸氏はどこで耳にしたのか、激しい危機感を露わにした。株主総会を開催して「作州商事の株の売却に関する項目は、株主総会決議事項」と決定していた。それまで、株の売却に関しては曖昧模糊の状態であった。城戸氏にしてみれば、自分は最大の株主である。「俺の関与しないところ、同意しないところでの、会社売却を許すものか」と強い意思表示をしたのである(「俺は作州商事のオーナーの立場を放棄しない」という意味)。
さすがに事業家は、事の本質を掴んで疾走する。サラリーマン社長は動作が緩慢であった。(続く)
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