12日、官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」(厚労懇)でのトヨタ自動車取締役相談役・奥田碩氏の発言は、同懇談会の存在そのものに疑念を抱かせている。
テレビ番組の厚労省批判の激しさに逆切れし、「厚労省が叩かれるのは異常」「マスコミに報復」「スポンサーでも降りてやろうか」などとメディアを恫喝、さらに、地方の中小企業のCMスポンサーを完全に見下した発言が続いた。「ああいう番組に出てくるスポンサーは大きな会社じゃない。いわゆる地方の中小とか・・・」というくだりには怒りを禁じえない。大企業トヨタのおごりであり、同氏の傲慢の現れである。
わからなかったのは、奥田氏がここまで感情的に「本心」をあらわにし、マスコミをけん制したうえ「地方の中小企業」にスポンサーを降りろ、といわんばかりの発言をした理由である。
そこで、問題の厚労懇は、なにを目的に設置されたのか振り返ってみたい。厚労懇1回目(本年8月7日)の議事録には、同会を主宰するよう福田首相(当時)から指示された町村官房長官(当時)の発言が記されている。「厚生労働省に対する期待、また厚生労働省の行政に対する不信というものが今いろいろな面から出ているところであるが、少子高齢化が大きく進行している中にあって、年金の記録問題とか、あるいは薬害肝炎の問題をはじめ、いろいろな課題が噴出しているという状態にある」まさに、国民の生命・財産を守るという使命を忘れ、事件続きの厚労省の現状の上に立った発言である。その上で「厚生労働行政の信頼回復をどうやって図っていったらいいかということについて、考え方をまとめ、ぜひ実行しようではないかということになったわけである」と続く。言い換えれば、腐った組織をどう立て直すかについて話し合う会議ということである。
このあと、座長に指名された奥田碩氏が発言する。驚くべきことに、奥田氏の話からは、正すべきは厚労省であるはずなのに、同省を批判する「国民」の方が理解していないといわんばかりの言葉が発せられていた。その奥田発言は次のとおりである。
「略・・・厚生労働行政への期待と批判が多いわけであるが、批判の中には表面的・感情的なものも見られ、今後日本としては避けられない少子高齢化への対応、あるいは財政の問題、解決しなければならない問題の本質が国民にはまだ十分伝わっていないのではないかと思っている」
奥田氏は、座長としての挨拶の冒頭で、厚労省に対する批判について、表面的・感情的なものが見られると言い切っている。とんでもない話ではないか。薬害患者の苦しみは、旧厚生省の不作為がもたらしたものである。さらに、年金記録の改ざんで、もらえるはずの年金額が減ったり、記録そのものが捨てられたのは、まさに犯罪行為ではなかったか。生命や財産を奪われる側は、当然感情を爆発させるだろう。表面的とか感情的とかいうレベルの問題ではなく、「死活問題」なのだ。そして、そうした事態を招いたのは、ほかならぬ厚労省なのである。奥田氏は、厚労省によって与えられた痛みについて、全く理解していないらしい。犯罪者集団とも言うべき厚労省の実態には一切触れず、「批判」に対する「批判的態度」を表明していたのである。つまり、厚労省を良くするための懇談会の座長ははじめから、国民やマスコミの、厚労省に対する批判を不快に感じていたことになる。厚労懇1回目の奥田発言は「国民への批判」に他ならない。昨日「トヨタ奥田氏、何様か」と書いたが、どうやら正体が見えてきた。
次週につづく