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コダマの核心

歴史的価値観の激変による翻弄、生コン業界の救世主になるか 味岡和國氏(株式会社味岡 社長)(3)
コダマの核心
2008年12月18日 08:40

満を持しての独立

株式会社味岡社長 味岡和國氏 家業である味岡建設グループ発展のため、全身全霊をもって尽くした味岡氏は、「俺の会社を興そう」と決断した。満を持しての会社設立は、1989年である。42歳の時に最初の会社(有)味岡リースを設立した(さらに2年後の1991年には味岡株式会社も設立。この企業が現在のグループ中核企業である)。四男として家業繁栄に貢献してきたため独立が遅くなったという事情は、タマホームを起こした玉木社長の場合と似ている。味岡社長本人の言によれば、「売り込みから配送、集金、トラブル処理に奔走したりと、あらゆることを経験してきたことが貴重な肥やしになっている。そのお陰で今日がある。感謝しなければならない」となる。

 スタート時期には、本家の得意先を荒らさないよう努めた。本家は味岡建設生コン事業部でセメントの販売をしていたからだ。会社を起こして5年めくらいまでは、味岡(株)は味岡建設グループの一翼を担う企業であると見られていた。2000年頃からようやく、地元あさぎり町はもとより人吉市および熊本県内では、味岡(株)グループは味岡建設グループとは経営母体の異なる、独立した企業グループであるとの認知を受け始めた(現在でも2社の事務所は隣り合わせになっており、同一グループと勘違いされるケースが多い。取材に行った際にも、間違って味岡建設の事務所を訪ねてしまった。味岡建設がどこかのんびりした雰囲気に包まれていたのに比べ、味岡本社の方はピーンと張り詰めた緊迫感が漂っており、両事務所から受けた印象は、対照的なものであった)。

 味岡氏の身上は負けん気である。「兄ちゃんの会社を追い抜いてやろう」との一心で努力を重ねてきた。その結果、瞬く間に人吉地区では同業者トップの座を極めた。この時点では、まだまだ人吉地区におけるローカルな知名度しかなかった。味岡社長自身も「お金を貯めて豊かな生活を送ることができれば、それで満足」という意識しか持ち合わせていなかった。ところが、同氏の経営者としての一大転機が訪れたのである。それは、熊本市へ進出するという話であった。

麻生からの出資要請

株式会社味岡 名門麻生セメントは熊本市およびその近郊に、系列の生コン工場を2ヵ所所有していた。1987年(昭和62年)12月のことだ。麻生セメントの当時の専務が味岡社長を訪ねてきた。「麻生泰社長の命を受けて参りました。実は、熊本麻生生コンに出資して頂きたいのです」という突然の申し出である。味岡社長は麻生社長とは個人的な付き合いがあったが、当初は出資要請の意図が理解できなかった。話を聞くうちに熊本麻生生コンは10年間、赤字経営を続けていることがわかった。「なるほど!! 打開策の一環として、出資を要請してきたのか」と納得できた。「しかし、泰社長は俺を買い被っている」という気持ちもあった。
 経営状態を聞き取りながら、赤字の原因が理解できるようになった。「早朝出勤・配達をしない、残業もしない、現場でヘルメットを被らない」と、すべてを労働上の問題に集約できることを理解した。味岡社長は「従業員たちが、天下の麻生さんにぶら下がっておれば大丈夫という甘い意識に侵されていたら、赤字になるのは至極もっともなことだ」と分析したのだが、1年後に社長就任を打診されるということまでは、想定不能であった。(続く) 



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