カンボジアから帰ってきて約1年半が経ちますが、時が経てば経つほどカンボジアに行って本当によかったと感じています。23歳の春。大学の卒業式が終わるとすぐ、私は3人目の駐在員としてカンボジアへ飛び立ちました。
私のカンボジアでの仕事は、主に小学校の運営管理、子どもの地雷被害の調査、地雷被害者の心の声を届けるラジオ番組「VOICE OF HEART」の企画制作などです。日本で考えていたよりも、現地での仕事は難しく忍耐勝負でした。先生や子ども達はどうやったら学校に通いやすくなるか、どんなラジオだったら地雷被害者の心に伝わるか、など試行錯誤する日々でした。
そんな中、私が今やっていることは本当に誰かの役に立っているのだろうかと思ったときもありましたが、大きな喜びもありました。ラジオのDJに挑戦した地雷被害者が、日に日に力強い声と自信に満ちた表情に変わっていくのを見たときや、「本当はもう死にたいと思っていたんだけど、放送を聞いて僕もがんばろうと思った。」という声を聞いたときは、とてもうれしくて本当にやっていて良かったと感じました。
私はこの仕事を通して色んな人と出会いました。エイズと分かり家族と一緒に住めなくなった人。お互い地雷で足を失いながらも、精一杯自分のできることをやり子どもを育てている夫婦。そして、特に印象に残っているのは、7歳の男の子ビジト君との出会いです。
彼の村は、タイ国境近くのプランテーション畑の中にあり、学校や病院が全くないということがすぐ分かるところでした。幼稚園児を思わせるまだ幼い彼は、鬼ごっこをしているときに地雷を踏み片足を失っていました。小さな松葉杖をついて一歩ずつ歩く姿を見ると、これからの彼の人生を考えると、涙が止まりませんでした。何でこんなものを埋めたのか!!本当に地雷が憎らしく思えました。
しかも世界には今もまだ地雷を作っている人達がいます。彼らはこの子達のことを知っているのでしょうか。地雷一つでどれだけの人が一人の人生をかけて苦しんでいるか!!「絶対におかしい、本当に伝えていかないかん!!」と強く思いました。
そんな彼らから学んだことは、ただ生きるということ。それは食べることであり、働くということです。どんな境遇の中でもみんな必死に生きていました。障害を障害とせず、自分ができることを必死に模索し、なんとか一日一日をつなぎながら、笑顔で生活していました。
そして、人は一人では生きられないということを感じました。どんなに貧しい状況でも家族の間には笑顔があり、家族みんなで丸くなって笑顔でごはんを食べる。それがどんなに幸せなことか知りました。きっと皆さんにもできることがあるはずです。それはまず家族を大切にすることかもしれませんし、世界で起こっていることを知ることかもしれません。
私一人が何かしても、と思うかもしれませんが、私は現地に駐在し、意外と一人の力は大きいものだ、ということを知りました。カンボジアでは、色んな国の人が試行錯誤しながら活動を続けていますが、それは確実に広がり誰かの笑顔につながっていたんです。
最後になりますが、このような現地駐在員という機会を与えてくださったCMC、心配しながらも私の進みたい道を温かく見守ってくれた家族、家族のように接してくれたご近所さん、私に生きることと愛を教えてくれたたくさんのカンボジアの方々、この巡り合わせに、心から感謝します。一人の平和を願う心と愛が世界中に広がっていくことを願って。