世界にはビック企業が無数にある
味岡社長は世界市場を展望する。「世界各国をみると50から100ケ所の工場を抱えているビック企業は数多くある。5年前、韓国に視察に行ってみると年商500億規模の会社もあった。世界を眺めたらマンモス企業はごろごろしている。日本の場合は1店主たぐいの規模が過半数を占めており『俺が、俺が』の我儘な経営者しかいない。いずれ淘汰される運命であろう。マー、どうであれ自分の代には外国進出はあり得ない」と本音を語る。
現在、ある日本のセメントメーカーがアメリカ国内の生コン工場を100ヶ所買収するプロジェクトを推進している。確かに日本の生コン市場の将来を見通せば暗い気持ちになる。「外国に打って出たい」と、はやる気持ちは充分に理解できる。このシリーズ⑩(最終回)で触れるが、味岡社長も生コン業界の暗澹たる状況を察して「過去に拘らない事業戦略を構築しないと明日はない」ことの危機感を抱いている。
宮崎地区で拡大路線の戦略を確定する
前回、味岡生コンクリートグループの組織図を紹介した。熊本県に次いで重要な拠点は宮崎県である。熊本県内に6ケ所の工場を持っているが、宮崎県においても6工場を有している。味岡生コンクリート(株)(本社・あさぎり町)で3工場と熊本味岡生コンクリート(株)で3工場の6ケ所である。宮崎県内には味岡生コンクリート(株)で宮崎県児湯郡西米良村、東臼杵郡椎葉村の2ケ所(この二つは県境を越えているが九州山脈のど真ん中にある共通市場である)に配置している。加えること小林市に味岡西諸地区建設事業協同組合として1ケ所、宮崎味岡生コンクリート(株)で3ケ所の計6ケ所に及ぶ。「機会があれば宮崎市内への進出」の布石も講じたようだ。
宮崎県における展開は、熊本の組合共存路線を発展させた延長上にある。その究極の具現化が味岡西諸地区建設事業協同組合だ。株式会社ではない。この宮崎県の西諸県郡地区では弱小の生コンの経営者達が意地を張り合い、四分五裂。業界全体が瀕死の状態にあり、共倒れ寸前であった。調整役で呼ばれた味岡社長は次のように一喝した。「同業者が相打ちして全滅したら誰が地域復興の役割を果たすのか」。この一喝で同業者が引き締まった。各社がこの事業協同組合の下に結束するようになった。
味岡社長は各企業のオーナーに平等な扱いをして、利益分配に文句が出ないよう、憎いばかりの配慮をしてきた。だから不平分子が現れず、組合のメンバーがバラけないのだ。世間では同氏の知らないところで「味岡さんに来てもらえたならば地域復興に貢献してもらえる」という神話が確立した。味岡氏の組合運営にあたっての重要なキーワードは『平等』である。この『平等』運営の実験が県庁所在地・宮崎市で展開されようとしている。宮崎市に隣接している児湯郡新富町の工場も加入させて宮崎市内の生コン組合の再活性化に挑んでいるのだ(同業者の足の引っ張り合いがあった)。この続きはまた次号にて。
(つづく)
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