「改革」の掛け声が勇ましく叫び続けられた結果、「派遣切り」だの「雇い止め」といった言葉が年末の流行語になってしまった。規制緩和の産物なのだという。「格差」も小泉改革の置き土産だと指摘される。小泉改革が残したものが現在の日本の現状だったとしたら、失政だったことになる。その責任は誰にあるのだろう。
「100年に一度の危機」に対し、期待された麻生太郎首相はなす術もない。「未曾有」の状況ばかりが喧伝される一方、政治は時間を止めたかのようにアクションを起こさない。政局ばかりで打開策を実行に移そうとしない永田町に厳しい視線が向けられている。麻生さんを選んだのは自由民主党の都合であって、国民に責任はないという意見がある。一方、麻生さんの「キャラ」を面白がって、人気者に仕立てたマスコミや、それに乗せられた有権者も悪いという人がいる。人気者だから選挙目当ての自民党が選ばざるを得なかったというのである。
結局、「誰も責任を取らない日本」が続いていくことに変わりはない。選挙で審判を受けるまで、事の正邪が判然としないというのは間違いであろう。失政が分かった段階で身を引くべきだ。選挙で決めてもらうというのは虫が良すぎる。極論かもしれないが、犯罪人が「皆さんは私の罪についてどう思いますか?」と聞いているようなものである。混乱の責任を認め、腹を切る覚悟の政治家や官僚は1人もいないのだろうか。
もっともらしくは聞こえるが、結局こうしたバカな政治を選ぶ有権者にも責任があるという論法は間違いである。国会議員は税金から歳費を得ている。歳費も入れ、国会議員1人にあてがわれる公金は半端な額ではない。年間約2,300万円前後の歳費の他に、月100万円といわれる「文書通信交通滞在費」や月65万円の「立法事務費」、政策秘書・第一秘書・第二秘書の「公設秘書」給与、全てを合わせると年間で7,000万円近くの金額になる。この他にも議員会館や議員宿舎の公費負担分を合わせると1億円という数字が見えてくるという。国会議員の定数は衆・参で722人(衆・480人、参・242人)。無駄飯がどれだけのものか理解できる。もちろんこれとは別に、年間約320億円近くの「政党交付金」が配分されている。盗人に追い銭と酷評する人も多い。国会議員も「一宿一飯」という言葉くらい知っておくべきだ。ともあれ、今の国会議員は対価に見合う仕事をしていない。仕事をしないのか、あるいは能力がないのか・・・。だからこそ閉塞した状況を打開できない。
政治家は、選ばれた以上、選挙の時に並べ立てた「公約」を果たすべきなのだ。ほとんどの国会議員の選挙公約は、全てがすばらしいものばかりだ。実現していたら、理想の国家、理想の郷土が出来上がっていなければならない。しかし、現実は逆である。だました政治家が悪いというのはあたりまえの話であろう。政治家の言葉を信じる有権者が悪いはずがない。
言葉といえば、政治家は選挙の時になると「命がけ」といった言葉を、必ずと言っていいほど使いたがる。しかし、経済状況が悪化しようと、恐慌が襲おうと、政治が信頼を失おうと、責任をとって命を失った政治家など1人もいない。これまでも、これからもそうだろう。死んで詫びろと言っているのではない。せめて吐いた言葉に近づく程度の「懸命さ」を見せてほしいということだ。言葉の軽さはイコール政治の軽さでもある。だから信頼されない。100年に一度の危機に光明をもたらすのは、ほかでもない、本当に「命」をかけて国を救おうという政治家の出現ではないだろうか。
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