麻生の「最後の賭け」が退陣への引き金を引く
麻生政権の崩壊はいまや時間の問題となった。支持率が11月はじめの約40%から20%近くへと1ヶ月で半減。過去の政権を見ても、こんな急落は最短記録だ。原因は麻生首相の失言や朝令暮改で政策に一貫性がないことにあるだけに、自民党内からは、「坂を転げ落ちたというより、総理がみずから崖を飛び降りた」との声があがっている。多くの内閣の幕引きにかかわった野中広務・元幹事長は「支持率が20%台になれば退陣が近い水準」という見方をしていた。麻生内閣は早くもそこまで追い詰められた。
◆麻生退陣のシミュレーション
首相の途中退陣にはいくつかのパターンがある。
(1)竹下内閣はリクルート汚職を機に政治不信が高まり、政権運営に行き詰まって通常国会での予算成立と引きかえに退陣した。
(2)海部内閣では選挙制度改革(小選挙区制導入)をめぐって自民党の対立が深まり、海部首相が「重大な決意」と解散を決意した途端に党内から引きずりおろされるように退陣。
(3)後を継いだ宮沢内閣は小沢一郎グループなどの造反で内閣不信任案が成立し、解散に踏み切ったものの総選挙に大敗して自民党は下野した(細川連立政権への政権交代)。
今の麻生首相の状況に最も似ているのは森内閣だ。
森喜朗・首相の「神の国」発言や「無党派層は寝ていてくれればいい」といった発言で支持率が急降下し、党内からは石原伸晃、塩崎恭久、渡辺喜美氏ら若手が『自民党の明日をつくる会』を結成して総裁選の前倒し→森退陣を要求。そして加藤紘一、山崎拓両氏という実力者による『加藤の乱』が勃発した。
それでも時の野中幹事長ら執行部は乱を鎮圧し、森首相は政権にしがみついたが、ついに支持率が1ケタまで落ち込んで退陣を余儀なくされた。最も往生際が悪いパターンである。
当時、森批判の急先鋒だった渡辺、塩崎氏ら若手は今や重要閣僚を経験し、自民党の屋台骨を支える中堅議員となったが、今回も彼らが『速やかな政策実現を求める有志議員の会』を旗揚げして麻生おろしに動き出した。
「自民党がこのままではもうお終い。これからの政局は何が起きても不思議ではない」
渡辺氏はそう離党を視野に入れた言い方をしている。
自民党幹事長代理として政権を支える立場にある石原氏まで、
「自民党議員の7割から8割が『麻生政権で選挙をやって与党でいられるのか』と疑問を持っている。自民党は崖っぷちだ。麻生政権も崖っぷちかもしれない」
と、”倒閣宣言”ともとれる発言をした。麻生首相の足元は一触即発の状況である。
深刻なのは、現在が世界恐慌の入り口にあり、麻生政権の経済無策、危機感のなさがそれこそ日本経済の沈没につながりかねないことだ。
つづく