コラム「迷走する建築士業界」
■机上の空論を押し付ける
無資格者と有資格者との間に力量的差があるのだろうか。「それは関係ない。有資格といっても講座に出席して、ある程度の時間とお金をかければとれるレベル。構造は経験工学だから経験値の方が大切なはず」というのが多くの建築士の考えではないだろうか。
「適判の試験は今回の試験ほど難しくない。実はある重鎮の建築士が適判試験に落ちた挙句、大臣認定枠で特別に適判資格者となり、そのまま構造設計一級建築士の資格まで得たらしい」という話も聞く。もし本当なら、「資格の意味」こそが問われなければならないのではないか。
筆者がここまで強く訴えるのには理由がある。それは、国土交通省を中心とする官僚による一連の政策が、本来の目的をすでに逸脱しているように見受けられるからだ。改正建築基準法にしても改正建築士法にしても、「姉歯のような存在を出さない」ことが最大の目的だったはずだ。
しかし、一連の法改正が“性悪説”に立った中小ゼネコンおよび建築士の淘汰で、規制強化により官僚の権限を高める目的のように感じる。構造設計の資格ひとつをとってみても、適判および建築構造士などの有資格者以外は、ほぼ取得が不可能だった。つまり、長年の経験や知識よりも、結果として「ある程度のお金と時間をかけた資格」が合格の一番の決め手だったということだ。
実際に「午前はほとんど白紙だったけど何とか受かった。資格を持っていて良かった」という声も聞かれた。実務5年という制約があるにしろ、その「実務」の評価の仕方もよく分からない。大した経験や実績が無くても同じ“5年”ではないだろうか。「工学博士の肩書きを持つ知識人であっても、試験に落ちた人がいる。勉強不足と言われればそれまでだが、今回の試験は個人の尊厳を傷つけ、国の机上の空論を現場に押し付けるものにまで発展している。その人は訴訟も辞さないと言っていた」(建築関係者)。
採点側が模範解答を示して、どこがどうおかしいのか、皆が納得するような方法をとれば良いのだが、そうは決してしないだろう。なぜなら、採点側にミスや落ち度があった場合、誰かが責任をとらなければならなくなるからだ。行政は責任の所在を追及されることを最も恐れ、うやむやにするためにあらゆる手段をつくす。
希望社の桑原会長も弊社インタビューに対し、「はっきり言ってあまり意味がない、新たな受験・講習制度によって国交省の天下り機関に利権を与えるだけの建築士法の改正で、そんなことがあって良いはずがない。名目は建築士の質的向上ですが、実際は『排除』が発生するでしょう。技術者というのは、日常的な業務を果たすうえで必要な情報をもとに実務を担えれば良いレベルの知的水準で仕事をしていると思います。これから求められるのはそういうレベルではなく、根源にある理論を知っていない者は能力が無いということで、建築士として不適格だから『排除』する方向にいくということです。そうなると、実際に構造設計できる人びとが存在しなくなることが目に見えて分かります。そうした現状を役人が認識し理解しているのか、非常に疑問です」と答えていた。 (つづく)
【大根田康介】
※当コラムは過去に情報誌『I・B』およびネットI・Bにて書いたものを集約し、加筆修正したものです。
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