支払い条件の変更に加え田川郡川崎町の工場を売却
まず同社が最初に採った改善策が、06年6月の支払条件の変更であった。同社は取引先に対して、「取引行からの財務体質改善に向け、支払いサイトの変更の指導があった」旨の通知を発送し、半ば一方的に支払い条件の変更を行なった。これにより、同社との取引を中止した業者は少なかったと言われているが、対外的に同社の厳しい現状を晒すこととなった。また同時に、(1)松屋会の発足(2)受託手数料のアップ(3)遊休地の売却(4)人員削減(5)仕入れ値引き(6)回収の徹底といった方針も発表し、仕入業者の協力を一応得たかたちで事業を継続していった。
さらには、社有資産の売却にも着手し、07年8月には同社が保有していた田川郡川崎町の製材工場を親族に売却した。しかし、同社および一族が保有するこのほかの不動産は、場所柄なかなか買い手が現れず、この川崎工場の売却後は遊休資産の売却は難航することとなった。
このように充分とは言えないまでも、経営改善策を施してきた同社。しかし、取引先もシビアなもので07年7月および12月には一部取引先が債権譲渡の設定を行った。さらに08年に入ると、一部取引先に対して支払い面での遅れが発生することとなった。そして、ここにきてのアメリカ発の世界同時不況なども重なり、ついに今回の事態に至ってしまった。
名門復活は果たせず
当地区を代表する建材販売業者であった同社であったが、建設不況や住宅産業の低迷には勝てず、ついに破産手続きの申請準備に着手した。非常に残念な結果となったが、もっと早く抜本的な策を講じるべきではなかったか。例えば、行橋や大分の市場は同社の市場の中でも販売が好調なエリアであった。そういったエリアのみでの事業展開に特化して、販売が苦戦している市場は閉じるといった大胆な経営改善策も必要であっただろう。同社の破綻が建材業界関係者に与えた失望感はかなり大きい。
【宮野 秀夫】
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