不良債権処理とゼネコン
アーサーホームにしても東峰住宅産業にしても、不良債権となった原因はそれぞれの会社の代表にあるが、バブル当時に融資を垂れ流した銀行の融資責任もある。バブル崩壊後、両社に不良資産処理を速やかに行なわせていれば、佐賀銀行の不良債権もこれほど大きくはならなかった。
しかしバブル崩壊後にマンションの販売が回復してくると、佐賀銀行は売上高欲しさから、息のかかった両社に対して不良資産の処理は棚上げさせ、開発案件への融資を積極化させる。両社とも、同行からの融資が積極的に行なわれるなかで、まさか破綻(実質)させられるとは思ってもみなかったであろう。豊栄建設・大祥建設も両デベロッパーも、コントロールしていたのは当時の福岡本部長であった。成績第一主義の同本部長は、不動産業者の協力業者を抱え、物件があれば両デベロッパーや新興デベロッパーに融資付きで話を持ち込んでいる。両デベロッパーは当然であるが、当時の新興デベロッパーは販売力を有しており、融資付きというありがたい話には積極的に対応した。これでは一人芝居であり、地道な組織営業は銀行員にとって馬鹿らしくもなろう。その額も当然、毎回億単位であった。
福岡銀行と佐賀銀行の、不良債権処理の大きな違いは、銀行マンの資質の問題であろう。もし、強固な組織運営がなされている福岡銀行が両デベロッパーの処理にあたったとしたら、これほど大きな処理額には至らなかったと思われる。
逃げる顧客
もう一件紹介しよう。
佐賀銀行をメインとする、健全経営の某デベロッパーがあった。しかし現在は、メイン銀行を福岡銀行に変えている。
そのデベロッパーが開発用不動産取得に懸命になっていた物件を、実績も乏しい新興デベロッパーに高値で持っていかれてしまった。その新興デベロッパーの不動産取得に関わる資金付けを、佐賀銀行が行なっていたのである。ことが明るみになると、健全経営のデベロッパーは怒りをあらわにし、佐賀銀行に対して何の告知をすることなく、メイン銀行を切り替えた。そのデベロッパーは現在も当然、健全経営である。
このように、佐賀銀行は上得意の顧客まで失くすなど顧客離れも多い。西日本銀行と福岡シティ銀行が合併を発表した際、福岡銀行は優良融資先への融資大キャンペーンを張った。04年10月1日、西日本シティ銀行が発足した時点での融資残高は、それ以前の拮抗した状態から大きく水を開けた。
その影響は、福岡での融資先が多い佐賀銀行にとっても大きなものとなった。豊栄建設の福岡の協力業者も、協力として佐賀銀行との取引を当然のように行なっていた。しかし、豊栄建設の破綻に見られるような仕打ちでは顧客も離反する。取引を続けるとしても、決してメイン銀行にすることはないだろう。
【緒方 雅】
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