偽装再建策であったアーサー・東峰住宅の再建策
アーサーホーム(株)と東峰住宅産業(株)の整理に際しては、佐賀銀行は当初、再建策とも受け取ることができるような方策を打ち出す。両社ともオーナー企業であり、佐賀銀行は資金を供給し続けて積極的な経営をさせておきながら、「これまで」とばかりに資金の供給をストップすると、すぐさま不良債権の処理に乗り出したのだった。両オーナーにしてみれば、銀行了解のもとに水面下に秘されていた不良資産を、銀行によって突然、面上に晒されたのである。両オーナーはこれまで、銀行は了解してくれていると思い込んでいたのであったが…。
佐賀銀行は両社の不良資産処理において、両オーナーの子息を利用する。両オーナーとしては、例え自分が犠牲になったとしても、実質債務超過の状態にある自社を再建し、息子にバトンタッチできるのであればとの思いで、銀行主導の再建策に応じたのであった。会社から分離した現業部門の役員に息子を就任させることで、事業を承継することを夢見たのである。
しかし、その願いははかなく虚しいものにすぎず、事業承継は幻であることに気付かされる。両オーナーにしてみれば、思惑とは逆に、分離した会社に息子を人質に取られた格好となってしまったのであった。当然のことながら、不良資産を引き継ぐ本体会社は、両オーナーが経営責任者として代表を務め、資産の売却等整理に向けて奔走。息子としても、父親が代表として本体会社にいることから、身動きがとれない状態に陥ったのであった。
こうして佐賀銀行は、本体会社の整理を終わらせると、両オーナーが息子に引き継がせてほしいとのはかない願いを抱いていた現業部門(アーサーホームではアーサーヒューマネット、東峰住宅産業では東峰住宅)の処理に、向かうことになる。
本体会社の整理が進み始めてからは、両オーナーが息子に現業部門の事業承継をさせたいという、はかない夢から覚めるのに、それほどの時間はかかっていない。息子たちも当然、自らの会社を作るなど、善後策をとるに至った。
両社の不良債権を処理するにあたり、佐賀銀行は当初から、このような絵を描くことができていたのであろうか。当然疑問が残る。佐賀銀行による不良債権処理については、これまでにも批判はあった。しかし、知られる限り、喜ばれるような再建策をとったことのない佐賀銀行は、その都度その都度、成り行きに任せて処理に当たってきたのではないかと思われる。
経営失敗の責任は、当然のことながら両社のオーナーに問われることになろう。しかし、オーナー自らに不良債権処理を進めることを留保させ、開発資金を供給し続け、企業をおもちゃ同然に利用してきた銀行の経営責任は、問われないのであろうか。例え、時流に乗せられてのことであったとしても、それは銀行の論理であり、企業のそれとは対立するのである。
福岡銀行は、高木工務店の不良債権処理の際には強行したが、その後の高田工業所・日本乾溜工業・ヤマウの処理では、オーナーには経営責任を取らせたものの、会社自体は独立させたまま存続させている。高田工業所に至っては、一族がそのまま経営している。
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