第1章 新聞辞令(2)
さすがの中井も心配になってきた。信頼する部下がこんなことをするだろうか、信じられない心境である。投書が続いていた。
特に、名古屋からが多かった。
ある日、親会社の山水工業古橋社長が中井を訪ねてきた。親会社とはいえ、年間売上高では子会社の山水建設が大幅に上回っていた。子会社山水建設は山水工業の製品を建築資材として大口に購入しているので、両者の間柄は親子の関係でなく、対等の関係になっているといっても過言ではない。
親会社の社長が子会社の中井に会いに来ても、おかしなことではなかった。
古橋社長は「次期社長に坂本専務を起用されるとか。坂本さんについて、うちの営業からは、いい話は聞きませんなあ」
と暗に反対の姿勢を示して帰って行った。
対等とは言え、山水建設の株式占有率20%の筆頭株主である。一概には拒否できない。
苦し紛れに、中井は「いろいろ問題があっても、私の眼の黒いうちは悪いことはさせません」
と言うのが精一杯だった。
中井は社内からでなく、親会社からも坂本に対する懸念について指摘されたことに、ショックを受けていた。
自分の会社の人事にまで、介入してほしくなかった。
中井はプライドも高く、それに瞬間湯沸かし器と言われるくらい短気であった。
他人からいろいろ言われると、逆噴射しかねない状況だった。中井は関係会社の担当常務と工場担当専務、購買担当専務をそれぞれ呼び、坂本の黒い噂をめぐる事実関係について、調査するよう命じた。
命令を受けた各部署は、次期社長になる可能性のある坂本の悪行を調査することには、尻ごみをした。警察権もないのに、証拠をつかむことが不可能であることは、誰にでもわかることだった。
上司から「調べてくれ」と言われ、「はい」と言うだけで1週間たって、「なんにもありません」と答えるしかなかった。
敢えて、火中の栗を拾う馬鹿はいなかった。
そのような動きは当然、坂本の耳にも入っていた。次期社長の有力候補にこの際、自分を売り込もうとする幹部から「坂本専務のこと、社長が調べてますよ」
と報告されていた。坂本は「あいつら、犬みたいに、わしを嗅ぎまわっているんや!」
と取り巻きに話をしていた。
坂本はこのまま悪い噂が慢延すると、社長の内示がつぶされることになるのではないかと、危惧し始めた。
(この物語はフィクションであり、事実に基づくものではありません)
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