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東京レポート

消費不振で百貨店、総合スーパーが落ち込むなか「ヒートテック」で独り勝ちしたユニクロ(下)
東京レポート
2009年2月10日 09:15

製造小売一貫方式がユニクロ流

 84年9月、父親からメンズショップ小郡商事を引き継ぎ社長に就いた柳井氏は、広島市にカジュアルショップ「ユニクロ」1号店を出店。店名のユニクロはユニーク・クロージング・ウェアハウスの略。斬新な服を倉庫(ウェアハウス)のような店で売るという意味。柳井氏は「ユニークな服の宝庫」と言っている。
 91年9月、社名をファーストリテイリングに変更、ユニクロチェーンの展開を開始。社名は速い小売業という意味。 
 山口県の小さな衣料店が大化けしたのは、98年に東京・ユニクロ原宿店のオープンとフリースの大ヒット。これで柳井氏は、小売業界に革命をもたらした時の人になる。企画、デザインから製造・販売まで一貫して行なう製造小売(SPA)として業績を伸ばした。自社製品比率が85%に達した。
 SPA方式によるフリースの大ヒットは、独り勝ちした「一勝」であった。
 その後はさっぱり。女性を中心にユニクロ離れが起きた。商品が全国に行き渡り、希少価値がなくなったからだ。フリースブームの反動で、業績は大きく下揺れ、株価は急降下。英国進出や農産物の販売などの多角化もことごとく失敗。
 柳井氏の右腕、左腕といわれた実力者は相次いでユニクロを退社した。伊藤忠商事からスカウトし、SPAの仕組みを作った澤田貴司氏は辞めた。慶応大ラクビー部のOBで社長に据えた玉塚元一氏も3年で更迭。05年9月、会長の柳井氏は社長に復帰した。

独り勝ちできる商品開発

 2010年度に売上高1兆円。「世界一のアパレルSPA(製造小売)」を見据える柳井氏が掲げた当面の目標。その目標を達成するためにM&A(合併・買収)に乗り出した。M&Aに800億円を投じたが、うまくいっていない。伊ブランドの日本法人を手放したほか、国内で傘下に収めた靴専門店などは赤字が続く。低価格商品の大量販売というユニクロ流が、流行色の強いブランド店の運営に合わないためだ。  
 フリースで「一勝」した後は、失敗の連続で「九敗」。ユニクロ神話は消えたと見なされた。それでも、柳井氏は独り勝ちにこだわった。情報化社会では、トップ企業しか創業者利得が入らないからだ。2番手以下は価格競争で疲弊するのがオチ。独り勝ちできる商品開発に、地道に取り組んできた。
 その商品開発が実ったのが、ヒートテックの大ヒット。これで「二勝」。柳井氏は65歳までに一線を退くという。しかし、額面通りに受け取る業界人は皆無。いくつになっても柳井氏がオンリーワンの権力者だから、後継者は育たないためだ。

【日下淳】

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