第二章 社長就任(3)
坂本に対する多くの誹謗中傷の投書が寄せられ、社外の関係先からも危惧の念が訴えられていたが、山水建設は新聞辞令を既定路線として、坂本体制の確立を急いでいた。
これだけ不評な坂本のふるまいを、中井は否定するでもない。それにしても、社長就任が決まった後に、こんなに滅茶苦茶に言われる人物もいない。
このことは会社にとっての悲劇でもある。
「坂本と中井の間に何かあるのでは?」という噂が、社内外で疑心暗鬼に飛び交っていた。中井の優柔不断の姿勢が、今日の禍根となって残ったのである。
中井は迷っていた。本当に迷っていた。坂本の周辺には、黒い噂が充満している。
坂本と同期の特殊事業担当・桜井専務は、中井に対し、「あいつだけは社長にしてはだめですよ」と何回も意見具申してきている。
「わしも実は困っているんだ。部下に調べさせても、噂が本当かどうか裏が取れないんだ」と、中井は決定的な確証を欲しがった。
このことがいつの間にか、坂本の知るところとなり、坂本は1年後には桜井を専務職から解き、関係会社へ転出させてしまうのである。
株主総会は6月に行なわれる。坂本は、そこで正式に社長に決定される。
しかし、定期人事異動は4月に発令される。そのため、案の定といおうか、一連の人事が発表されるにつれ、独断専行的傾向の強い坂本色が、うき彫りになっていくのであった。
社員の間では、実質上の創業者・山田大二郎社長が営々と築いてきた「一致団結」の社風が、坂本が社長になることでなくなってしまうとの、しらけムードが漂い始めていた。
坂本は名古屋時代、強権を振るって支店長、所長、店長の人事をコロコロと変え、ワンマン体制を敷いてきた人物である。そうした強権の嵐の中、ごまをすり、坂本の腰ぎんちゃくになって生き延びて来た幹部が、全国の主要都市に配属されていた。
このような異常な人事が発表されるつれ、山水建設は、新社長を迎えて気分が一新されるどころか、しらけムードが横溢するようになっていた。
会社の士気の低下は、すぐには表面化しない。しかし、3~4年後には、必ず数字として表れる。
坂本は「自分がいないと、この会社は立ち行かない」と豪語していた。
中井も、株主総会が近づいたことですっかり諦めてしまい、「わしの眼の黒いうちは悪いことはさせん」と口癖のように言うだけであった。
6月吉日、株主総会において、中井会長および坂本社長が、正式に決定した。
この先、坂本と激しく争うことになろうとは…。この時点では知る由もない中井であった。
(この物語はフィクションであり、事実に基づくものではありません)
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