第4章 社長への序章(1)
営業統括本部長に任命された坂本は、「自分の時代がやってくる」と予感していた。
さらに、天は坂本に味方したのである。間もなく、関西・神戸地区を中心とする大地震が、突然襲うのである。
テレビの報道はあちこちの火災、高速道路の崩壊、交通機関の寸断等について報道し、国民は、その悲惨な状況に釘づけになった。
山水建設の拠点事業所には、創業社長の山田が育てあげた第一線の営業マンがいた。
彼らの間では、「お客さん第一」の精神が徹底していた。
山田は、常日頃から全社員に対して「お客さんを大事にせよ」「お客さんあってこそのわが社である」「品質第一」「お客さんには最高の品質のものを提供せよ」と言いきかせ、その精神を徹底させていた。
この伝統がいざ! という時に、強みとなって現れたのである。
自らの家が震災に遭いながらも、各営業担当と現場監督は、炊き出しのおにぎりと水を持って、自分が担当する顧客の様子を見て廻り始めたのである。顧客の喜びは、計り知れないほど大きかった。震災に遭っていない近隣の大阪、京都、堺、奈良等々の事業所も応援体制を作り、神戸へと駆けつけた。
この緊急時の対処方法は、毎年生じる台風被害の際に、培われていたのである。台風は毎年やってくるが、山水建設では、台風によって被害を被った顧客に対する救援体制を、平素より確立していたのである。
しかし、台風どころではない未曾有の大混乱が生じている時に、各所がバラバラに応援をしたのでは効率が悪い。そこで、中井社長は神戸大震災対策本部を設立、本部長に坂本常務を起用したのである。
坂本は「万難を廃して、山水のお客さんがお困りのもの、必要なものを供給せよ」「損傷状況を調査して、生活できるライフラインを確保し、緊急補修はすぐにしてあげること」と訓示した。
坂本の指揮下、全国から傘下の協力工事店を招集して神戸に派遣し、救援体制を確立した。当然のことながら、山水建設の建造物に住む客には、水・食糧・薬などが配られた。
一連の活動によって山水建設は、「さすが、山水さん」と大変な信頼を得たのである。
さらに、山水が建てた家のほとんどが、軽微な損傷で済んでいた。山田は「最高の品質を提供する」という姿勢を絶対に譲ることがなかったが、それが生きていたのである。
まわりの家のほとんどが倒壊しているのに、山水の建物だけが損傷もなく、ポツンと立っているケースもあった。
この時の山水の活躍が、神戸とその近隣の被災者たちの間に、「山水はすごいサービス体制を敷いている。建物も地震には強い。客には徹底して尽くしてくれる」という評価を定着させたのである。
被災者たちの家は倒壊しているため、新築しなければならない。
噂は口コミで広がり、「家を再建する際には、信頼できる山水に」と考える人が、当然のごとく増えていった。まさしく震災特需と化したのである。
山水の経営上の数字が思わしくなかった時分であり、震災は、まさに天の恵みであった。
震災特需は2年も続いた。山水は未曽有の増収増益を続けた。
中井は「よくやってくれた」と坂本の功績をたたえ、彼を専務に昇格させたのである。
(この物語はフィクションであり、事実に基づくものではありません)
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