第5章 策略(1)
坂本は運も味方して、ついに社長に登りつめた。中井社長に対する造反劇の際の恩義、神戸大震災での功績が認められ、遂に、社長に指名された。
造反劇での坂本は、たまたま会長・渡部一派のことを快く思っていなかったので、彼らの誘いに乗らなかっただけである。
渡部一派のほとんどは、親会社の山水工業から出向、移籍していた先輩幹部ばかりだった。
坂本には「営業では俺の方が実績がある。先輩面した親会社出の人間に、営業がわかるか!」「あいつらは信頼できない。あいつらが天下をとれば、俺はあいつらの末席に座らなければならない」「そんなのはまっぴらだ」という思いがあった。坂本には、自分は日本一の営業実績を持っているのだ、というプライドがあった。
坂本は山水建設のプロパーとしての採用であった。親会社には、いい思いは持っていなかった。
親会社が儲かると踏んで、子会社の事業と競合する事業を立ち上げたおかげで、山水建設にとって山水工業は、第一線における競争相手となっていた。
坂本は、先見の明があって中井側についたわけではなかった。
造反組の敗戦は、準備不足によるものだった。本社、工場、中立派の役員など、様子見をしている一派を取り込めなかったことが敗因である。
たまたまではあるが、坂本は造反劇で勝利した側につくことになった。天の恵みであろうか、造反役員が一掃された後に大震災が発生、坂本は緊急事態への対応を任せられ、陣頭指揮をとった。
山水建設は元社長の山田が確立していた、緊急時に対応するためのノウハウがあった。坂本には苦労はあったものの、ノウハウを利用して災害に対処。この時の評判をばねにして、会社の業績を急回復、大幅な収益増となった。
「坂本はよくやっている」と、中井は坂本を評価せざるを得なかった。
この時の実績が、中井が「坂本を次期社長に」と決意させたのだった。社内では「坂本が社長になるらしい」との噂が立ち始めていた。坂本には常に威張る癖があるが、それに輪をかけ、ふんぞり返って闊歩するようになっていた。
坂本に威張る癖が身についてしまったのは、名古屋の取り巻きがそうさせてしまったからだった。名古屋での幹部会の折などには、坂本本部長が超一流ホテルでホテルマンの誘導で会議室に入ってくるときには、幹部全員が立ち上がり、拍手で迎えるのが通例となっていた。
「まるで金正日」のようだ、とも言われていた。
そうした噂が立ち始めてからは、中井のもとに投書が来るようになっていた。中井は秘書室から「また来てます」と投書を持ちこまれるたびに、ムーッとした顔になった。
中井は坂本を呼んで「こんなのが来ているが、本当か!」と聞いたが、坂本は「そんな悪いことはしていません」ときっぱりと答えたのだった。中井は、「君はこれから、身辺に注意しろよ!」と注意を喚起することはしたが、それ以上は言わなかった。というより、言えなかったというのが現実だろう。
坂本は「こんな噂がこれからも中井に伝わるようでは、自分の立場が危なくなるのではないか」「社長にとの内示も、白紙に戻されるのではないか」と危惧した。
自分の側近である社長室長の岡田と部長の木村と打ち合わせして、対応策を検討した。
そして、ある策略を考えついた。
(この物語はフィクションであり、事実に基づくものではありません)
※記事へのご意見はこちら