独立系商工ローン大手、SFCG(東京・日本橋室町、小笠原充社長)が2月23日に東京地裁に民事再生法の適用を申請した。負債総額は3,380億円。SFCGは過払い金請求訴訟の逆風の真っ只中にあったが、引導を渡したのは外資系金融機関だった。
「昨年8月のアーバンコーポレーションの破たんと、9月のリーマン・ブラザーズの破たん以降、新規の資金調達がほとんど不可能になった。貸出金の回収を急いだが、2月の決済資金に必要な75億円を工面できなかった」
SFCGの創業者である大島健伸会長(61)は、倒産会見の席上、こう説明した。経営の自由度を保つため、銀行グループの傘下に入らず、外資系金融機関から資金を調達してきたが、金融危機の時世では裏目に出た。
三井物産の商社マンから転身
大島健伸氏は、異色な経歴の持ち主だ。1948年2月、大阪府生まれ。70年、慶応大学商学部を首席で卒業、三井物産に入社。電気機械部に配属され、海外研修の社内留学生に選ばれたが、上司に楯突いたのが災いして、行き先はインドネシアのジャカルタ支店。何事も儲けのネタにする彼は、会社の金で大きな家をリースで借り、これを又貸しして、インドネシアを離れるまでの3年間に1,000万円以上を懐にしたという。発覚すれば、懲戒解雇になる行為だ。
父親の大島正義氏は、戦後、大阪から上京。下町で喫茶店などの水商売を手広く営んだ。役所広司・草刈民代主演の映画「Shall we ダンス?」のモデルとなった「ダンスホール新世紀」も経営していた。
商売人の家庭で育った大島氏は独立志向が強く、77年に三井物産を退社。父と同じ商売をする気がなかった大島氏が選択したのが、大手企業が進出しない金融業。サラ金(消費者金融)やマチ金(手形割引)は群雄割拠状態だったため、そのすき間になっていた零細事業者向け金融の商工ローンに目を向けた。
当時、商工ローンで急成長していた京都の日栄で金融業を修業。79年2月に、商工ファンドを創業した。現在のSFCGである。
「肝臓売れ」の日栄で修業
「肝臓1個300万円で売れ、目ん玉1個売れ」
そんな恫喝取り立てで、全国に悪名を轟かせたのが商工ローン会社の日栄(現ロプロ)だ。創業者の松田一男氏は、大手銀行を辞めて貸金業に転じた変り種。大島氏は知人の伝手の紹介で、「金融会社のなかで最も厳しい」といわれた日栄で金融業の修業を積んだ。
金融業の生命線は回収にある。貸付金を回収して商売は成り立つ。回収が勝負どころだ。商工ローン会社が相手にする零細自営業者は、銀行から借りられなくなり、商工ローンに飛びつくわけだから、いつ返済不能になっても、不思議ではない。払えなくなれば、取り立てるのは金融業のイロハだ。日栄は、古典的な恫喝取り立てをやった。複数の金融業者から借りている債務者は、コワモテの金貸しにまず返済していくものだからだ。
大島氏は、師匠である日栄の恫喝取り立てを見習わなかった。回収方法は、大島氏の言葉でいえば「法律を使ったスマートな取り立て」。だが、これが大きな社会問題に発展することになる。(つづく)
【日下淳】
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