三井高利は「店前(たなさき)現銀掛け値なし」という当時の商慣習を破る画期的な商法で呉服の越後屋を開き、やがて両替商へと事業を発展させ後の三井財閥の土台を築いた。彼は呉服物の切売り(小切れ販売)や「一人一色の役目(店内分業制)」などの革新的手法を次々と打ち出したが、その根底にあるのが「よく働けば繁盛する」ことを身上とする勤労精神だった。高利が導入した「よく働く仕組み」は単なる終身雇用制ではなく、一定の年限を経て昇進していくという意味では年功制ともいえるが、この制度の本質は「暖簾分け」という独立を促す一種の能力主義である。
まず、12歳前後の子供が丁稚として採用される。給料はもらえないが食と住が与えられて、読み書き算盤を習いながら仕事の手ほどきを受ける。この間、親は年二回、夏用、冬用の着物を送る。医療費も親持ちである。丁稚にとっては、授業料を払わなくて済む実務専修学校であり、店側では直接的な人件費をかけずに安い労働力が確保できる。親は僅かな出費で口減らしすることができる。考えようによっては三方得である。二年間の奉公が終わると全員が「お暇」をとり、実家に戻るが、その中から再奉公を乞われた約半数のものだけが店に戻る。
再採用されても丁稚である間は依然として無給である。僅かに盆暮れの心ばかりの小遣い銭と衣類が与えられる程度だったという。つらい奉公に耐える丁稚たちの当面の希望は手代に昇進することであった。しかし、手代に昇進する前には全員が「お暇」をとらされる。手代になるときに再々度新規採用となるこの「お暇」の制度は、奉公人に緊張感を与え続けるとともに、人格を傷つけずに能力をチェックできる極めて合理的な人事システムといえる。(つづく)
小宮 徹/公認会計士
(株)オリオン会計社 http://www.orionnet.jp/
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