漆間氏の「記憶にない」にあきれていたら、二階経済産業大臣まで「記憶にない」を使いだした。西松建設からの政治資金提供について記者団の取材を受けるなか、県議時代からの現金授受の有無を問われ「記憶にない」と言い出したのである。「ありません」ではなく「記憶にない」である。西松建設事件の拡大とともに「記憶にない」の一言が飛び交うことになるかと思えば、この国の政治は何も変わっていないことを痛感させられる。
「記憶にない」が初めて登場したのはロッキード事件の時である。1976年に起きた戦後最大の疑獄事件で、国会の証人喚問に応じた小佐野賢治国際興業社主が「記憶にございません」を連発し話題となった。これ以後、政界を舞台にした疑獄事件では、必ず登場する言葉である。
ロッキード事件では、田中角栄元首相が逮捕されている。「記憶にない」もこの時と同じなら現在の政治状況も当時と酷似している。ロッキード事件の強制捜査にゴーサインを出したのは、バルカン政治家と呼ばれた三木武夫首相(当時)だったといわれる。法務大臣は稲葉修氏である。三木内閣は、党内基盤の弱さに加え不人気、「三木降ろし」の最中にとび出したアメリカ発のロッキード疑惑は、政敵・田中角栄氏と田中派を葬り去る絶好の機会だったといえる。
麻生首相はどうだろう。1割台の支持率にあえぎ、専権事項であるはずの衆院解散に関してもフリーハンドではない。党内では「麻生降ろし」が進むが、最大の敵は小沢一郎民主党代表である。麻生首相だけでなく政府・与党にとっても脅威の存在である。政権そのものを失う可能性が強いだけに、三木内閣の時の焦燥感とは比べようがないものだろう。
そして、政権交代が現実味を帯びはじめ、待ったなしで総選挙が行なわれる年に、あえて東京地検特捜部が動いたということになる。「国策捜査」との批判が出るのも無理はない。
検察といえども政府の一機関である。法務大臣が指揮権を有している。閣僚の指揮下にある国の機関が動くということからすれば、検察の捜査は文字通り「国策捜査」であり、そこに議論の余地はない。問題は時の政権の意を汲んで動いたかどうかであるが、事件の推移を見ていれば、やはり怪しいと思わざるを得ない。
検察の公式発表もないまま、西松事件は日に日に拡大の一途をたどっている。しかし、それは小沢代表側への疑惑に限ってである。自民党側への捜査に着手すると言われていた矢先に、小沢代表の元秘書(現在は衆院議員)への出頭要請や西松建設以外の大手ゼネコンによる献金の疑いが報じられる。「やっぱり小沢はクロ」との印象が増幅されていく。明らかにマスコミを使った世論誘導だ。繰り返すが、検察は捜査状況について何も公表していないのである。日ごろは検察や警察の捜査のあり方を批判してばかりいるマスコミも、リーク情報をもらっては喜んで紙面を埋めていく。ロッキード事件以来、政治もマスコミも変わっていないということだ。
数日前に話したことを「記憶にない」という官房副長官、金を「もらっていない」ではなく「記憶にない」という経産大臣。どちらも「記憶にない」の使い方だけは覚えていたようだ。しかし、政治家や役人が「記憶にない」ととぼける度に、この国の政治や行政が著しく信頼を失ってきたことも覚えておいてほしかった。
【頭山 隆】
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