企業がいかに激変しても、社員の一人一人が組織と同じ方向に激変しなければ結果は期待できない。要は『個人の地』が時代に対応しなければ大きな成果は得られないのだ。今回は、3回に渡って『個人の地』というテーマでレポートしてみたい。組織の規制のあれこれから解放されようとも“花の60代”を『前向きな地』をいかんなく発揮して活躍している人もいる。拘束から外れると対照的に生来の怠惰心が露わになる輩も存在する。60%がその類だ。貴方は死ぬ覚悟をしてから、怠惰で終えられるのか!!
<3日休んだら体が怠ける恐怖感に駆られる>
64歳の関本と62歳の小倉は高校、大学、銀行と同じ道を歩いてきた。関本は常務取締役まで登り詰めたが、派閥闘争で一敗地にまみれた。「よーし、『花の60代』は銀行OBという肩書から外れたところで地元の企業に貢献したい。できたら東証一部上場まで飛躍する企業で腕を振るってみよう」と決断をした。行動が早い。まず100億企業に自分で売り込んだ。懐に入ってみると会社の業績は好調である。だがここの経営者は「上場する意思がない」ことを知った。「ご縁がなかった」と退社した。
次に上場企業に幹部としてスカウトされた。ところが上場会社らしかならぬトップの思いつき独走の企業運営であった(コンプライアンスに無頓着)。是正を求めて発言をしていたが、社長と激突するのは時間の問題とみられた。業績不振の責任をとって関本は退任した。次に待っていたのは「暇」、「自由」という地獄であった。3日もスケジュールが空くと関本は体に悪寒が走るようになったのだ。
「これでは健康に悪い」と判断をして医療法人の理事としての地域医療問題に取り組むことにした。さらに、地元の中小企業の金融相談も引き受けることにしたのだ。同氏のところには毎日、紹介で2件ほどの相談がきた。「現在の金融機関の貸出姿勢は中小企業潰しだ。余生を、中小企業の体質改善のアドヴイザーとして全力投球する」と覚悟した。関本氏の『地』とは生きている限り全力投球するということなのだ。
<老後は「まーほどほど」に>
小倉は関本の後輩である。「62歳ではもう再就職先はなかろう」と心配した関本は、就職を斡旋した。小倉は、「関本先輩は高校時代から輝いていた。銀行時代も行内一の業績を挙げられていたほどの逸材だ。私はいつも後ろからついてきた。私は官僚と同じように、一から物事を立ち上げられるような仕事は無理だが、与えられたポストはそつなくこなせる」と豪語する。こんな姿勢では、60代以降に今の世の中を渡れるはずがない。銀行の看板を背負っている時代なら小倉の『地』を世間も黙認していただろうが・・・。
組織からの命令・規範を受ける必要がなくなれば「頭を下げずに自分の気分を貫ける環境にいたい」というのが小倉の『地』なのだ。「怠惰の極まり」の老人生活と言っても構わないだろう。「社会に少しでも貢献しようか」という意識すら持ち合わせていないようだ。この類が60%を占めている現実がある。同氏は銀行に勤務していたことで最低の老後保証があるからこそ減らず口が叩けるのだ。中小企業に勤務していた者には、こんな悠長な老後は待っていない。(続く)
(注:登場人物は仮名)
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