<決断して5年でM&Aへ到達>
広告製作会社の(株)ゴング(本社:福岡市中央区薬院)が、香川県高松市に本社があるセーラ広告(ジャスダック上場)に買収された。言うなればM&Aがなされたのだ。セーラ広告は中国、四国地区では業界トップにランクされている。ゴングの創業者・権藤理仁氏と九州進出を狙っていたセーラ広告との間に思惑が一致して今回の契約に至った。この一例でも、どの業種の企業も福岡・九州の市場には魅了されていることを証明している。
ゴングの創業者・権藤氏は1938年1月生まれの71歳。勤務していた職場の同僚たちと会社を起こしたのは78年4月、40歳の時である。だから企業は個人通算31年の歴史を誇っている。独立の動機は高邁なものではない。「まさしく『食べられない。子供を大学にやれない』という切実な思いが独立の動機であった」(本人の弁)。権藤氏は平然と「子を親が育て上げるため」に、リスクを背負う起業の道を選択した。誰でも決断できることではない。
同氏は佐賀県鳥栖市出身。『葉隠れ』の精神を体現した逸材だ。曲がったことは一切せずに、信義を貫くことに徹して経営を行なってきた。この『葉隠れ』の真髄を貫き通したからこそ、今回の企業売買を可能にしたのだ。『激変時代』には誰もが激変の宿命を抱えている。しかし、『ぶれない堅い信条』も持ち合わせることも重要だ。権藤氏の、確信の『葉隠れ』人生が、最後のビジネス人生において成功裡にゴールテープを切れたのだ。
子供たち=娘・息子を育てあげるために会社を起こしたのだが、子供たちは大人になり、別所帯を得て独立した。権藤氏は当初、長男に事業のバトンタッチを検討していた。長男氏は優秀で、大企業で腕を振っている。「中小企業の後継ぎにはもったいないな」と判断した。同氏が打った次の策は、社内・社外からの人材を社長へ抜擢させる挑戦であった。しかし、名案と見られたこの策に該当できる逸材との遭遇の機会を得られなかったのだ。そこで権藤氏は「もう会社を売ってしまう方が賢明だ」と英断をしたのが5年前である。
<10回のお見合及び流れの結果>
相談を受けた以上、いろいろと花婿(買い手先)を探した。買い手側にも様々な対応するものがいた。「いずれは買ってやるから、とりあえず業務提携をやろうや」という虫の良い提案をしてきた業者もいた。こちらから「フザケルナ!!」と断ったケースもあった。また相手(花婿)のオヤジは「OK」のシグナルを送ってきたが、花婿が「嫌だ」と駄々こねて流れてしまったこともあった。M&Aのお見合いはドラマを満載している。
無借金の良筋の印刷会社から「欲しい」と愛を告白された。「これはいけるぞ」と思っていたら、貰われる立場のゴングの社員方々が難色の意向を示して破談となった。ところが、気が合うと物事は一挙に加速化する。権藤氏とセーラ広告のトップの、1回の巡り合いで婚姻が即決された。10回に及ぶ遍歴でハッピーエンドになったのである。
(つづく)
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