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特別取材

アジア大交流時代を迎えた今 海の玄関・博多港の機能発揮を(1)
特別取材
2009年4月14日 08:38

福岡市港湾局長 岩瀬 信一郎氏

歴史的にアジアとの窓口であった博多港。グローバル化の中で、その役割に対する期待は一層高まっている。そうした期待に応えるため、福岡市港湾局は港の整備、管理・運営、集客などに取り組んでいる。「博多港の発展なくして福岡市の発展なしという思いです」と語る岩瀬信一郎港湾局長(肩書きはインタビュー当時)に博多港の現状と課題、九州・アジア新時代の交流拠点都市づくりの中での役割などについて伺った。

福岡市の発展を支えてきた博多港

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 ――ことしで開港110周年を迎える博多港は、どのような発展の歴史をたどってきたのでしょうか。

岩瀬 
 2000年前の金印に象徴されるように、福岡・博多はアジアの国々との交流によって発展してきたまちです。7~9世紀には遣隋使、遣唐使が那の津から船出していき、7~11世紀には外国からのお客さまを迎える施設・鴻臚館が置かれました。12世紀には平清盛がわが国初の人工の港である袖の湊(みなと)を造り、日宋貿易が盛んに行なわれるようになりました。12世紀末には中国で学んだ栄西が日本最初の禅寺・聖福寺を創建し、13世紀には同じく中国で学んだ聖一国師が承天寺を開山しました。16世紀には博多商人たちが、中国や朝鮮などとの交易で活躍し戦乱で荒れたまちを復興しました。そういう意味では、港がまちの発展を支えてきたと思います。
 ただ、明治になると船が大型化し、遠浅である博多港の整備は資金調達難などから進まず、貿易はあまり伸びなくなりました。明治・大正時代には200~300t程度の小船しか係留できなかったようです。1927年(昭和2年)に第2種重要港湾に指定されたことで、防波堤の整備や航路のしゅんせつなどが進められ、貿易の取引高も伸びましたが、やはり博多港が発展したのは戦後になってからです。
 51年に重要港湾に指定され、翌52年に福岡市が博多港の港湾管理者となり、各ふ頭の整備などに本格的に取り組んできました。60年に戦後初の博多港港湾計画を作り、中央ふ頭や須崎ふ頭の整備に続き、73年には博多港最大の箱崎ふ頭が完成しました。82年には箱崎ふ頭(水深12m)で博多港初のコンテナターミナルの供用を開始しました。
90年(平成2年)に特定重要港湾に指定され、韓国の釜山との間に貨客フェリー(かめりあ)が就航し、翌91年にはJR高速船(ビートル)が就航しました。94年に香椎パークポートで本格的に国際コンテナターミナル(水深13m)を供用開始すると同時に、アイランドシティの埋め立て事業に着工しました。95年に中枢国際港湾に位置付けられ、98年には香椎パークポートの整備が完了しました。2003年にはアイランドシティの国際コンテナターミナル(水深14m)を、08年10月20日には水深15mの国際コンテナターミナルを供用開始しました。


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