終戦後の昭和22年、徳蔵が西村商店の社長に就任した。当時は男3人、女2人の計5人での船出となった。「徳久治さんは終戦と同時に気が抜けてしまったのか、経営には帳簿をつける程度の関わりで、あとは基本的にすべて夫の徳蔵に任せたようです」(信子)
戦時中は鉄などすべての資源が兵器製造にまわされていた。しかし終戦後、軍需産業は平和産業へと転換を遂げる。その一環として、佐賀の鉄工所が鍋や釜などを作り始めた。終戦直後で物が無く、徳蔵は「これぞ好機」とばかりに売れる物は何でも売った。「リアカーをいっぱいひいてきて、各地で商品を売り歩いた。鍋、釜、提灯などが飛ぶように売れた。これを1年ほど毎日繰り返して商売の資金を稼いだ」(徳蔵)
昭和23年になると、各玩具メーカーが玩具製造を再開したという案内がきた。そこで徳蔵は、いち早く玩具屋を開店。「その頃は物が無かった時代だから、玩具も飛ぶように売れた。商品の種類が少なかった上に、幸いにも佐賀では当社が一番早く店を立ち上げたこともあり、とにかく仕入れをした分だけ売れた。これで早くに商売の基礎ができた。20代はとにかく一所懸命に、まっしぐらに働いた。学校で鍛えられ、軍で鍛えられてきたから、気合いが今の若い人とはまるで違う」(徳蔵)。従業員も少しずつ増えて、会社も徐々に発展していった。
昭和27年、徳蔵は信子と見合いで出会い、結婚した。洋裁所に通っていた信子の同僚として、徳蔵の姉が仕事で通っており、それが縁で知り合った。実は信子の父のはとこと徳蔵のいとこが夫婦で、徳蔵と信子は遠縁だった。
これ以降、信子は徳蔵の長い商売人生を支えていくことになる。
~つづく~
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