日本に帰国後、徳蔵は第3回(昭和43年)、第6回(昭和46年)、第11回(昭和51年)の銀天夜市の運営委員長を務めることになった。第3回では、海外での貴重な体験を活用したいと考えていた。宣伝カーを筆頭にオープニングパレードを行ない、バトンガール、ブラスバンドなどのデモンストレーションで好評を博した。また、佐賀市営バスの協力を得て「銀天夜市号」の運行を始めたり、桃太郎の店頭でも先着順に無料で玩具を配るなど、市民に感謝の意を表した。
第6回は、米作の減反、ドルショックなど低迷する経済状況の中で行なわれた。しかし不況ムードを吹き飛ばすかのごとく、100万人の動員に成功。徳蔵は博多どんたくのパレードにヒントを得て、福岡の自衛隊から買い求めた弁慶号(D51)で自衛隊の協力のもと、「銀天夜市だ!全員集合」というキャッチフレーズのマンガ怪獣大パレードを行なった。
第11回は、徳蔵の生涯の思い出となった。ミス・インターナショナルの五名を佐賀の地に呼ぶという快挙を成し遂げたのだ。「この年、東京でミス・インターナショナル世界大会が開催され、何とかこの美女たちを佐賀の銀天夜市に連れてこられないかと考えたものだ。色々な働きかけと、佐賀がこの年の国体開催地であったという幸運にも恵まれ、多忙な中、2日間だけ来佐してもらう約束を取り付けた」(徳蔵)。徳蔵の尽力が実り、佐賀市民にとっても徳蔵自身にとっても夢のような2日間を作り出す事ができたのだった。
徳蔵の商売観が変わる
徳蔵は、世界一周旅行から帰国後、人が変わったように商売の方法を変えた。世界の時流に遅れないように、基本的な考え方を他の人と変えたのだ。「新しいセンスで経営し、商品開発をしていかなければならない。そういう思考で店舗を拡大してきた。桃太郎も発展し、長崎・佐世保・唐津とチェーン展開していった」(徳蔵)。
卸でも九州全域を商圏とし、旧ユニードダイエーとの取引も開始した。「昔は玩具といえばここ、という店舗が九州内の各都市でも全部で20~30店舗はあった。ところが時代を経て、だんだんそういう店も減っていった。最後に残ったのが桃太郎と熊本の小川商店(※)という店だけだった」(徳蔵)。
当時、桃太郎は九州トップクラスの玩具店だった。バンダイ、トミー、タカラといった名だたる玩具メーカーの、九州一の得意先が桃太郎だった。日本の玩具店は、「九州の佐賀の桃太郎」のことを皆知っていた。ジャスコなどの全国区量販店から、九州の量販店の寿屋、タイヨー、サンリブ・マルショクなども桃太郎と取引していた。
~つづく~
JR博多駅で九州~山口の≪地域限定≫キャラクターグッズを数多く取り揃えている(株)博多桃太郎。その同社の歴史を余すところなく書き記した本が完成しました。無料で配布しておりますので、御入用の方は092-431-6575(名店街店)までお問い合わせください。 【語り手】 西村徳蔵 <(株)博多桃太郎 相談役> 西村信子 <徳蔵の妻、徳久の母> 西村徳久 <(株)博多桃太郎 代表取締役社長> 【書き手】 大根田康介 <(株)データ・マックス記者> 【写真提供】 (株)博多ステーションビル 博多駅ビル名店街・地下街商店会事務局 |
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