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「世論調査」で動く社会への違和感 (上)
政治
2009年4月12日 12:05

「世論調査」で動く社会への違和感 (上)  各メディアの世論調査で、麻生内閣の支持率が上昇しているという。対する野党・民主党の支持率は低下。2~3カ月前の「民主党の政権奪取間近」といった風向きとはすっかり変わってしまった。近年、何かというと世論調査が実施され、政界を含めて日本中がその結果に一喜一憂している。世論調査の結果が政治の方向性を決定づけることもしばしばだ。頻繁に行なわれる世論調査が日本を動かしていると言っても過言ではない。それでは世論調査は、本当に正確な国民の意思を表わしているのだろうか。さらに言うなら世論調査を多用する報道のあり方・それによって動く国のあり方に問題はないのだろうか。

数千人の意見が1億の意見?

 我が国の有権者数は1億人強である。対して世論調査の対象、つまりサンプル数と呼ばれるものは1,000人~3,000人がほとんどで、ひどい時は数百人というものも存在する。
NHKの世論調査サンプル数は3,600人とされるが、これは多い方らしい。いずれにせよ1,000人か2,000人程度の回答が、大手メディアによって報じられた時の破壊力は凄まじい。報道されるやいなや、一部の意見が「世論」となってしまう。ずいぶんおおざっぱな集約方法だが統計学的にはこれでいいのだという。
しかし、詳しい調査結果を見ると、これにはいくつかの疑義が生じる。まず、設問次第では、答えそのものが一定の方向に「誘導」されてしまうという点である。例えば「○○に対する批判の声が上がっていますがあなたはどう思いますか」的な質問に対して、常識人を自覚する人なら何となく同じように批判的な方向性を持った答えを選ぶだろう。聞き方次第では、特定の答えの数字を増やすことも可能なのである。何らかの考えを問う質問では「どちらかといえば~」という答えも用意されている。無理やりどちらかに押し込めてしまおうということなのだろうが、見出しになる時には「どちらかといえば」組も一括りにされてしまう。少ないサンプル数がさらにおおざっぱに処理されるのだ。これが本当に1億人の意見であるとは思えない。

マスコミは「第4の権力」

 世論調査に至る数日間の報道内容で答えが誘導されることもある。麻生首相が漢字の読み間違いをした折、大半のメディアが首相をこき下ろしたが、その直後の支持率が上がるはずもない。また、小沢民主党の支持率低下にしても、国策捜査と氾濫した検察リークの後だけに、当然のことだろう。大手メディアが連日「国策捜査」を批判し、リーク情報を報じなかったとしたら、現在の世論調査結果は別のものになっていただろう
 大手メディアの報道内容は、有権者が物事を判断する時の大きな材料となる。世論形成が報道によってなされていることは否めないのだ。事件や政局を作り出しているのは大手メディアであるという指摘もあながち的外れではあるまい。政局や事件について筋立てをし、報道を通じて流れを作っておいて世論調査を実施、「世論はこうだ!」とばかりに喧伝する。確かに思い通りに世の中は動くだろう。マスコミが司法・立法・行政に次ぐ「第4の権力」といわれるようになって久しいが、このところのひどさは目に余る。西松建設事件について、何度となく「国策捜査」についての疑問を呈してきたが、小沢代表側のケースと同様に、西松側から政治資金提供を受けた政治家たちへは何のお咎めもない。自民党側への捜査が遅々として進まないことに対し、なぜ検察批判を展開しないのだろう。検察という強大な権力組織に毅然と対峙し、批判することはマスコミの使命だろう。本来の使命を果たした後にこそ「世論調査」を実施すべきなのではないだろうか。世論調査が国の未来をも変えてしまうような怪物になるのは、少なくとも現在の報道のあり方がつづく限り承服できない。

(つづく)

              

【頭山 隆】

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