「劣化」と言われて久しい日本の政治。その原因のひとつとして「世襲議員」が挙げられている。
自民党の菅義偉選挙対策副委員長は先ごろ、次期衆議院選挙に関して「自民党も身を切っていると思われないと選挙には勝てない」として、世襲の制限や国会議員の定数削減などを挙げた。世襲の制限は、「両親から選挙区を受け継ぐ同一選挙区からの立候補を制限する」というもので、衆院選の政権公約(マニフェスト)に盛り込む動きがある。こうした案は、民主党では以前から討議されてきたものであり、お株を奪われた格好だ。
この意見に対し、麻生首相をはじめ自民党の世襲議員からは早くも「できない話」「困難である」との考えが続出している。日本国憲法では被選挙権の自由が謳われており「被選挙権を得た方はどなたでも、ということになっている。誰だからできないと制限するのはなかなか難しい」。また当の世襲議員からは「世襲議員のなかにも能力があり立派な方々はいる」という筋違いの反論も出た。
現在、衆議院議員480名中、両親や祖父母を国会議員にもつ議員は131名。このうち自民党では107名、民主党は17名である。全衆議院議員に占める世襲議員の割合は27%にも上る。これに地方議員・首長などを両親や祖父母にもつ衆議院議員を加えると、より大きな割合になるだろう。
ちなみに今の麻生内閣の閣僚17名のうち世襲は11名で、世襲議員内閣と言ってもいいぐらいだ。さらに麻生、福田、安倍、小泉内閣とたどっていけば、世襲ではない首相は1994年の村山首相まで遡る。何と13年以上も世襲首相が続いているということになるのだ(森首相は父、祖父が町長)。これが今の日本政治の混迷と貧困の直接的な原因であるとまでは言えないにしても、異常といえば異常である。
世襲議員は「地盤、看板、カバン」を引きつぎ、他の候補者と比べて出発点からアドバンテージがあることは確か。公正で公平な条件を確保し競争(選挙)するという建前からは程遠い。また、世襲議員は選挙で苦労することが少なく政策の勉強に専念できる政策通が多いとも言われるが、実態はどうも違う。単なる職業の世襲になっているに過ぎないのだ(『職業としての政治』[マックス・ヴェーバー]の理念からは程遠い)。こうしたどうしようもない議員と世襲との因果関係は確定できないにしても、少なくとも同一選挙区からの世襲議員の立候補を制限することは、自由競争を確保する点からして望ましいことであろう。
選挙制度や政党の歴史が異なるイギリスとは単純に比較できないが、同じ小選挙区制度を採用している同国では、政党が選挙区に候補者を振り分けて選挙を行なっている。つまり、個人選挙ではなく政党選挙になっているのだ。日本においては、小選挙区制を採用する理由として、政策重視と政党中心の選挙を謳ったが、実態は個人選挙のまま。これが金権腐敗をもたらした一因でもある。
世襲議員が政界を席巻するということは、その人たちだけに政治権力が集中するだけではなく、そのほかの有能でやる気があり、多様な考えと言論をもつ人たちが排除されていく要因にもつながるだろう。
自民党では仮に世襲制限が合意されたにしても、「次の次の選挙から」という空気らしい。
民主党も含め、来たるべき総選挙の政権公約より(マニフェスト)のなかに世襲制限を掲げて競うべきであろう。そうすることで、国民が政治により接近するきっかけにもるのではないか。
【武田】
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