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私的整理に踏み切るコスモスイニシア リクルート事件後の有為転変(上)
東京レポート
2009年5月 7日 15:30

ジャスダック上場のマンション大手、コスモスイニシア(東京・千代田区、町田公志社長)は4月28日、私的整理に踏み切ると発表した。約2,000億円の有利子負債を軽減するため、3メガバンクなど約40の金融機関に債務の株式化や返済期間の返済を要請する。私的整理は通常、メインバンクが他の金融機関を説得する形で進めるが、音頭をとるメイン行をもたないコスモス社は政府の認定を受けた第三者機関が仲介する「事業再生ADR(裁判外紛争解決)」と呼ぶ新手法を使う。コスモスイニシアの旧社名はリクルートコスモス。戦後最大級の汚職疑獄となったリクルート事件の舞台となった会社としてあまりにも有名だ。

<リクルート事件とは>

 若い読者のために、リクルート事件をおさらいしておこう。
 発端は、1988年6月18日の朝日新聞横浜支局のスクープ記事。川崎駅前再開発を巡り、企業誘致の責任者だった川崎市助役の融資付未公開株の売買疑惑を報じた。
 まもなく株のばらまきが空前な規模に広がっていることが発覚。リクルートの子会社であるリクルートコスモスの未公開株の譲渡先は、中曽根康弘前首相、竹下登首相、宮澤喜一蔵相、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄元通産相、森喜朗元文相など大物政治家をはじめ政界、官界、財界、地方自治体、マスコミ、教育界などの有力者76人に及んだ。
 リクルートコスモス株は86年10月31日に店頭公開し、初値は1株5,227円。有力者たちの購入資金は全額、リクルートの金融子会社・ファーストファイナンスが融資。元手は一切かからず、売却益だけが転がり込んでくる仕組み。濡れ手に粟の錬金術。「秘書がもらった」と弁明する政治家は物笑いになり、「秘書が、秘書が」が流行語になった。
 株バラマキの主役はリクルートの創業者・江副浩正氏(72)。「東大が生んだ戦後最大の起業家」といわれた。60年3月、東大を卒業した江副氏は、港区佐久間町の第二森ビルの屋上にプレハブの事務所を構え、大学広告社の看板を掲げた。リクルートの発祥だ。六本木ヒルズで有名な森ビルの森稔社長は、江副氏と東大教育学部の同級生だ。
 スプリングボードになったのは62年。『企業への招待』を刊行。のちの『リクルートブック』。掲載企業の広告費で製作費のすべてをまかない、学生に無料で配布するというビジネスである。就職という情報をおカネに変えた卓抜なアイデアが、同社の急成長をもたらした。『リクルートブック』で大当たりを取った江副氏は、転職情報誌『とらばーゆ』など時代を先取りした情報誌を次々と発行する一方、異業種にも進出、ホテル、スキー場や不動産事業、金融業へと事業を広げ成功した。
(つづく)

【日下淳】

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